慈眼寺 副住職ブログ

何度も言ってますが、何でも言います。

他人の不道徳を指摘する行為はなんら道徳的ではなく、不道徳ですらある。

今も昔も、他人を叩いて留飲を下げる人がたくさんいます。私もきっとその一人なのでしょう。

今回のコロナ自粛期間だけでも、不用意な行動や言動に対しておおいに憤慨する人がたくさんいました。私もそうです。

ですが、昔と違うのは、ボタン一つで簡単に呪いの言葉を送れるということ。これが本当に怖い。

しかし本当に恐ろしいのは、こうした行為が、相手を変え、ときには反動となって繰り返し増幅されていくということ。

誰かが誰かを叩いて、今度は叩いていた人間が追い詰められる。

常に飢えと乾きに苦しみ、手に取るった食べ物や水ですら火に変わってしまい、決して満たされることがない。

まさしく餓鬼道です。

あまりに悲しい出来事で、正直触れたくない話なのですが、先日の女子レスラーさんの件に関して、友人のレスラーさんの言葉が本当に胸を打つような、本質的で、崇高な言葉でした。

 

「人の死に託けて団体やら番組やらを批判したいだけの人たちに、胸の奥底から嫌悪感が湧きました気持ち悪い。そしてこれからも増えるであろうそういう人達に、最大級の軽蔑を贈ります」

「叩かれてた人間が亡くなったら今度は叩いてた人間を叩くのか。それが何重にも重なっていったら恐ろしいことだね。【君の正義と他人の正義は違う】今回の件にも今の状況にも当てはまる。自分の目から見て相手がどんな悪人だろうと正義を盾に相手を攻撃するな。貴方だけが許されるわけじゃない」

https://news.yahoo.co.jp/articles/6996468c5e4fb3bd44450f32488c2c56a8d4ab95

 

年齢で人ははかれないですが、20代の言葉と思えないほどに本質を突いて入ます。

この方に限らず、女子レスラーの方々のコメントがどれもハッとさせられるほど、純粋で、それでいて思慮深い。

相手の技をすべて受け止めてなお強さを求めるプロレスラーの心意気を見るようで本当に崇高で、だからこそどうしようもない悲しさを感じます。

吐いた言葉は戻せない。時間は取り戻せない。

だからこそ、悲しい出来事の連鎖だけは断ち切ろう、という気持ち。私も肝に銘じなければなりません。

心から南無阿弥陀仏。