慈眼寺 副住職ブログ

新しい生活様式

更新がずいぶん滞っております。

時間と情報だけが有り余り、口を開けば何かを批判してしまいたくなるような、いや「批判」ならいいのですが、「非難」してしまいそうな気がして、どうも気が乗りませんでした。

こういうときこそ更新しなければ、という気持ちと、こんなときに坊主の戯言にどれだけの意味があるのか、という気持ちがないまぜになって、「結局朝から掃き掃除だし、寝よう」という感じでした。

お坊さんとしてはいろいろと気を遣いながら、やらねばならないこと、やってもいいことはやる、という当たり前の生活です。

教員としては、世の多くの教員がそうであるように、ウェブ配信の準備の日々。

今まで使用したことのないツールを、使えるものをすべて使って、なんとかんとかやりとりするような感じでしょうか。私はパワーポイントというソフトを主に使って授業を配信しているのですが、実はこのソフト、生まれてから一度も使ったことがなく!慌ててPCのなかに「パワポがどこにあるか探す」ことからはじめ、食事睡眠含め24時間後には一本動画を完成していました。やればできる!やってみたら結構面白くて、準備は面倒ではあるのですが、楽しかったですね。

パパとしては小学校に入学したばかりの娘が心配でしたが、まだ「学校」というものをイメージできていないのか、毎日楽しそうにお菓子を作ったり、なわとびをしたり、キャッチボールをしたりしています。なかなかの強肩でビビりました。授業がまったくといっていいほどできていないので、「そろそろ算数くらいやったほうがいいかな?」とも思うのですが、学校再開したときに「ソレもうパパに習ったー」とか言う子供、全然可愛くないので、今のところ放置しています。本人の能力と欲求を超えた先取りは弊害しかない、と常々思っております。

「格差ガー」とか言うてる人ときどき見ますけど、普通に学校で授業してても毎日「格差」は生まれてますので。むしろ今は塾も家庭教師も難しい状態で、かえって平等なんじゃないかと思ったり。案外こんなときにこそ「自分で考える」という本来の学習のあるべき姿が問われている気がします。小さいうちから暗記と入試の攻略法詰め込んで「お受験ブロイラー」みたいな子供いっちょあがりみたいな「普通のガッコウ」のほうが、平等でもないし、子供も不幸せだった気がします。

先日、「新しい生活様式」とかなんとかいうやつが発表されました。確かに緊急事態宣言が解除されても今まで通りの生活というわけにはいかないのかもしれません。

そんな中、悲惨な被害があったイタリアからこんなニュース

イタリアで通勤・通学のための自転車購入に最大500ユーロの補助金

7割補助で最大500ユーロということなので、58000円くらいまで補助されることになります。その場合82000円の自転車を24000円で買えちゃう感じですね。いいですね。ジャイアントのエスケープまるまる一台ぶんくらい補助されることになります。ライト鍵もろもろつけたらちょうどいい感じなのかも。

最近道路でも自転車を見ることが増えた気がします。

まず、何より公共交通機関使用禁止の企業が増えたのも関係しているのかもしれません。それと時間ができて感染リスクの少ない趣味うことで、新しく買ったり、昔買った自転車を引っ張り出したり、というのがあるのかも。外出を控えるのが一番ではあるのですが、ジョギングよりリスク低そう。こんなことがあるまでは、すっかり冷え切っていた自転車ブームですが、若干の再燃はある気がしています。

自分の自転車ライフの方はぼちぼち。朝とか夕方中心にサクッと乗ってサクッと帰ったり、ひとけを避けて山をひとっ走りとか。帰りに「弁当売ってます」とか「マスクあります」とかの看板を見て、「ああ、世の中変わったなぁ」って、思ったり。

愚にもつかないことを書きましたが、よく考えたらこのブログ、愚にもつかないブログでしたね。おそまつ!