慈眼寺 副住職ブログ

職人たちの、夏①<仏教編>

もう秋も結構深まってるんですが、全然更新してないので、ネタがたまっております。

まだ紹介していない夏のネタが。

まずは都祁来迎寺関係。

先日修復作業がめでたく完成した来迎寺版「当麻曼荼羅」に続き、まだ修復すべきものが残っております。

「十王図」であります。

「十王」とは地獄の王。そういわれると、想像されるのは閻魔大王でしょうか。

しかし閻魔さまは地獄の裁判官の一人に過ぎず、他に九人の王様がいます。この十人に生前の罪を吟味されて、送られる地獄が決まるわけです。現在の司法制度よりめちゃくちゃ慎重ですよね。

平安時代に末法思想が広まり、極楽の概念が明確化しましたが、同時に極楽に対比される地獄の概念も明確になります。これは源信の『往生要集』の影響が決定的なわけです。こうした地獄極楽の概念が鎌倉時代にさらに整備され、浄土教的な概念が広がります。そんな中、その「地獄」の部分が絵画になったのが「十王図」ということになります。すごく簡単にまとめてしまいましたが。

さらに乱暴になりますが、極楽往生の主役が阿弥陀如来であるのに対し、地獄の主役は閻魔さま。ですが、この閻魔さまというのはお地蔵様の変化した姿である!という思想がでてくるわけですね。十王をそれぞれ仏菩薩に対応させた本地垂迹説的な考え方が、おそらく民間信仰を中心に盛んになってきたものと思われます。絵画というのは分かりやすいですから、字の読めない民衆にもわかるわけです。そういう「絵解き」の手段として、極楽往生を描いたのが「当麻曼荼羅」(主演:阿弥陀如来)であり、地獄を描いたのが「十王図」(主演地蔵菩薩)というわけですね。

その十王図が当麻曼荼羅とセットで善導大師坐像のおわす来迎寺に伝来しているというのは、これはもう本当に似つかわしい話であります。

ところがこの十王図もまた、当麻曼荼羅と同様相当にいたみがひどく、修復が必要です。正直、今回の方が厳しいくらいですね。そこで今回も国博関連にお願いして修復作業をして頂くことに相成りました。

来迎寺の十王図については、私の説明などよりこちらが明快です。

http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1489150905545/index.html

そんなわけで、夏の終わりのある日、慈眼寺の本堂内にて、破損状況の確認が行われました。

そして現れたいつものプロフェッショナル軍団。

文化財課の仏教絵画専門家と修復作業の専門家の方々であります。

我々はいつものように「へ~!」と聞いて、時折、「高ッ!」とか言うだけ。

しかしいつもながらプロフェッショナルの兵どもはカッコイイのであります。そそくさとカメラやライトを用意してそこらじゅうをテキパキ測り、メモり、「裏彩色が・・・」とかなんとか専門用語をつかいます。若い人はおよびじゃなくって、プロフェッショナルのおっさんの世界であります。どこか、手術の方針を相談するドクターたちのような、F1を整備するメカニックのような雰囲気。実にカッコイイ。

今回も任せて安心。問題は予算だけ!といういつもの展開ですが、そこはお地蔵さまに日夜お願いすることにいたします。

 

しかし手前味噌ですが、本当にウチの住職は頑張っております。来迎寺の止まった刻を動かさんと、本当にしゃにむに突っ走ってきました。あんまり面と向かって褒めることはないので、こっそりここで褒めておきます。エライで!