慈眼寺 副住職ブログ

ゴミと人

いやぁ、なんだか読んでて、グサッとくるような、エッジの効いた記事でした。

「ゴミ清掃芸人」が見た格差社会の強烈な断面

タバコと言えば、毎日毎日朝、お寺の前を掃除しておりますが、毎日必ず吸い殻が落ちています。そりゃもう必ず。もう我が家には誰も喫煙者はいないので、完全に通行人やドライバーの方が吸って、なおかつ捨てているわけです。吸い殻は最近傾向が変わって、いわゆる電子タバコと言いますか、細いタイプのものばかりになりました。私は他人の喫煙にはわりと寛容ですので、吸うのは勝手に吸われればいいかと思いますが、ポイ捨ては本当に、気が滅入ります。吸って、捨てるときに、少しだけ掃除する人の気持ちを考えてほしいなと思うので、一度、家の前の道路を掃除されたらどうかなと思います。

ひととなりは、ゴミに出る、のかもしれません。

ゴミの内容。ゴミの捨て方。捨てる時間。

全てが如実に表れるのかもしれません。不必要なものにこそ、その人の本質が現われるのかもしれません。

「無駄だ」と思って捨てるわけですが。

全然無駄じゃないものを捨てる人。これは何が無駄なのか分かっていないということですよね。

逆に、そもそもそんな無駄なものを買うこと自体が無駄。これは無駄を生むような生活を送っているということ。

仕事柄、いろんなところをまわります。ゴミの集積場もたくさん通ります。マンションのゴミ置き場、ときにはとても汚い場所があります。朝早くからお参りしますので、カラスに荒らされたゴミを掃除するおじいさんなんかもよく見ます。結局、自分の家の前だと、自分のゴミじゃなくても掃除しなくちゃならないんですよね。結局それって、他人の家にゴミをぶちまけているのと同じ行為なんですよね。でも、汚れているのは、なんでしょうか。なんでしょうかね。

ゴミが出ないような生活をしたいですね。モノの少ない生活を。そして出すならいいゴミを出したい。

時代が出る。生活が出る。品性が出る。隠しおおせたつもりでも、全部出ている。

ゴミというのはおそろしいものですなぁ。