慈眼寺 副住職ブログ

独断と偏見で語るジョジョは何部がいいのか論争

私、姓と名に”J”が入りまして、東方仗助や汐華初流乃よりはよっぽど”ジョジョ“と呼ばれるに値する姓名を誇ります。中学のとき、一部の友人にジョジョというあだ名で呼ばれていた時期があるほどです。

「ジョジョの奇妙な冒険」は一部の最初の連載の日から覚えています。

「あのッ!魔少年ビーティのッ!バオー来訪者の作者がッ!新作ッ!コレは見逃せないッ!!」

と震えながらジャンプをベニヤ書店で立ち読み。その後も毎週チェックするも、陰湿ないじめの描写ばかりが続き、「一向に冒険が始まらないッ!」とヤキモキしていた矢先、ワンチェンが登場してからは怒濤の展開で、冒険が始まりまくり。私の心はたちまちズキュゥゥン!と射抜かれてしまいました。今思えば、バオーをあれだけ見事に打ち切られておきながら、悠長にあんなまだるっこしい展開をチマチマ続けていたゴージャス飛呂彦先生の肝っ玉に感服いたします。

で、よく言われるのが、「ジョジョ、何部好き?」っていう質問ですよね。今回はジョジョ展の開催を祝して、誰にも頼まれていないのにこの論争に、勝手に自分なりのケリをつける所存です。

 

体感的に圧倒的に多いのが、そりゃあ「二部」っていう答え。いわば波紋編ですよね。一番冒険っぽいし、肉弾戦だし、なによりジャンプっぽいですよね。カーズ様エシディシ様ですよね。シュトロハイムですよね。

次に多い印象なのが、「三部」。スタンドがはじめて出てきたところ。原点であり、ジョースター家とディオの因縁の一つのクライマックスですので、当然です。

しかしこうなると、一部の扱いが難しい。一部がないと、その先はないわけですが、どうかすると、二部三部のための序章扱いにされてしまう。ただ、印象に残るエピソードやフレーズも非常に多いんですよね。一部。メメタァ!とか。でも一部はジョジョ以前の荒木先生の作風が色濃く残ってるので、やっぱり捨て難い。

次、「四部」。いいんだよコレが。これは外せないんだよ。何だろうな、「ジョジョ」が変わった転機だと思うのよ。力みまくってバトルとかしなくていいんだよっていうか、町の平穏な日常の中に潜む不思議なバトル。「冒険らしくない冒険」というか、「日常が冒険」というか。「日常に潜む冒険」かな?三部で出てきたオインゴボインゴみたいな話が延々続く、脱力系なのに面白い。しかもラスボスの吉良吉影はすごい悪。ディオより悪。で、戦闘も相当盛り上がる。Break Down Break Down ♪ってあのアニメの主題歌超合ってましたね。「弱い奴が弱さを力に変えた方が怖い」っていう荒木理論が炸裂しはじめる時期ですよね。「スタンド」の解釈が無限に広がって、自由過ぎてすごくなっていく。アレ?俺四部が一番好きなのかな?

そして「五部」これが扱い難しい。僕は五部をいまだに消化しきれない。何なのアレ?ただ、女性ファンが多い、気がする。気がするだけ。

でもアレ、ジョジョですか?

ジョルノ、主役なんですか???ぜったいアレ、主役ブチャラティでしょ!ジョルノが空気すぎてひどい。ブチャラティ、能力も微妙なのにッ!あんなの億泰みたいな能力でしょ?ああでも、だいたい脇で光る役の人は能力地味だな。エルメェスとか。そこで工夫するからカッコイイんだよな。ブチャラティ、おかっぱ頭かわいいし、でもいいんですか?あんないきなり他人の汗を舐めるようなド変態!超勝手なイメージで言うと、ジョジョの五部好きな人って、「ジョジョが好きなんじゃなくって、五部が好きなんでしょ?」って感じ。

そこで満を持して「六部」。正直副住職、六部派。いや、言いたいことは分かる。みんなの目線が、「ちょっと人と違うことを言って変な子ぶりたい人だよね?」って言いたいのはわかる。いやでも六部いいでしょ。徐倫いいですよ。あけっぴろげなのがいい。現代的女性ですよ。強い女性。くっだらない男に騙されてムショ送り。女囚サソリですよ。からの逆襲。

しかしムショ内のスタンドの自由さですよ。人の想像力って、ここまでスゴイのか!って。どこで風呂敷まとめるんや?って不安になるけど、毎回綺麗にまとめる。畳む!畳みまくる。おまけに登場人物みんなカッコイイ!特に副住職はフー・ファイターズ派!断然フー・ファイターズ!ゴーゴー!フー・ファイターズ!

ただ、六部の責任が重いのは、このあとの七部、八部がすごい自由になっちゃう、自由になりすぎちゃうきっかけを与えたこと、かもしんない。「もう何を書いてもジョジョになる」と荒木先生をして言わしめる状況になっちゃうきっかけを与えた気がする。何というか、永井豪でいうところの、六部がバイオレンスジャック。すると、もう「そのあと」って、普通は描けない。描けないのに、描いちゃう。そこがアラーキーのすごすぎるところ。すごすぎる代わりに、もうジョジョしか描けない。そんな気がする。

ただ、御大がスゴイのは、普通、「大先生」が「昔の看板で描いてます」っていうのをやっちゃうと、正直痛々しい。どれとは言わないけど、ジャンプでもよくある。特に「大」がつかない先生がそんなことをやっちゃうともうどこのゴッドサイダーセカンドなんだというキツイ展開になってしまう。いや!俺、巻来先生好きよ!メカバトラーギルファーの頃から応援してますからッ!ただ、「大」先生じゃないよね。「俺の先生」って感じ。

話が飛んだけど、何が言いたいかっていうと、荒木先生は全然痛くない。無理矢理担ぎ上げられて、誰も期待してない続編を読まされている感じはしない。ちょうど、ゴティックメードとおんなじ。「俺についてくる奴だけきたらいいよ」という需要と供給。さっきの五部風に言うと、七部・八部好きな人はジョジョが好きなんじゃなくって、荒木飛呂彦が好きなんじゃないのか?ってこと。悔しいことに、読めばやっぱり面白いんだけれど。

そんなわけで、「さすがに七部、八部は本気ではついていけないッス」という本音は出たものの、「ジョジョ、何部?」論争に対する独断と偏見の結論は、

「1部から6部。ただし、5部は別腹」となりましたンッ!

異論は認めるッ!