慈眼寺 副住職ブログ

餅つき

今年もやってきました。

幼稚園のお餅つきの日。パパさんの有志が参加してお餅をつくのですが、2年連続で参加してきました!

去年は勝手が分からず、手探りでしたが今年はだいぶ慣れてきて、気楽にできました。

慣れたとはいっても、せっかくの休みに駆り出され、普段使わない筋肉を使いますので、疲れます(笑)
でも、園児たちのちょっとしたヒーローになれるので、頑張らざるを得ないといいますか。

この年頃の子供たちはみんなパパを大きな声で応援していて可愛いですよねぇ。なんで思春期になったらあんなにややこしくなるのか(笑)サモアでは女子にいわゆる思春期はないとかいうミードの説があったり、その説はミードの単なる思い込みであるという説もあったりしますが、まぁいまの「ゴールデンタイム」をなるべく長く味わいたいものです。

餅つきがおめでたいというのも、やってみると本当に実感されることで、炊き立てのもち米の湯気のでるさまや、餅をつくぺったんぺったんという音のなんとおめでたい感!今年はろくなことがなかったので、運気を変えたくてぺったんぺったんもさせてもらいました。

そしてつき上がるツヤツヤのでかいおもち!いいですよね~。なんか有無を言わさぬ生命力を感じます。

そしてあとは食べるだけ!

毎年、百人余りがおもちを喉に詰まらせて亡くなる(!)という闇の部分もありながら、それでも「食べたい!」と思わせる何かがある神の食べ物であります。

しかしお餅つきで毎回思うことがあります。餅つきって結局ぺったんぺったんの部分より、事前のグリグリで米粒を潰しておく作業が重要で、お餅の完成にはこの工程がほぼ8割ほどの比重があると思っています。が!杵でこれをグリグリしててて、「いや、コレ、違うんちゃうか」と。

杵はこのグリグリには向いてない道具なのではないかと!

もっとこう、藁を叩き潰す木槌みたいな道具とか、先の丸い棍棒とか、そういうののほうが、ええんちゃうかと。ぺったんぺったんには杵だと思うんですよね。音もいいし、「節目」っていう意味もありますし。しかしグリグリには向いてないわ~。意味なく疲れるわ~。某餅屋さんがメインのぺったんぺったんの部分以外は思いっきり機械でやってると聞きましたが気持ちわかるわ~。

こういう疑問誰も思ってないのだろうか。それとも全部杵でやることに意味があるのか。

そんなことを思いながらグリグリ、ぺったんやっておりました。

令和2年、いい年になってほしいものです!