慈眼寺 副住職ブログ

恵みはどちらに?

節分付近に行事を行っている寺の副住職としてどうなのか、と言われたらそれまでですが、

恵方巻を食べたことが一度もありません。

いいとこ豆まきくらい。土用の丑の日も乗っかったことがないし、そもそも食べたいときに食べたいもの食べたらええやん?という季節感のない人間なのがダメなのかしりませんが。

しかしそもそも、恵方巻が「関西の風習」と言われることに非常に違和感あり。あんなこと子供の頃誰もしてなかったですよね?
2月3日お参りのとき、コンビニでは朝早くからバイトの人が外のテーブルに恵方巻並べてました。特に人が集まるでもなく、コンビニの寒々とした店先に並べられる冷たい手巻き寿司・・・。コレ、どうなるんやろ?って思ってたら・・・

「売れ残り試算16億円?」節分夜35店舗の恵方巻、閉店前で残り272本 税金投入され大部分が焼却処分

やっぱりなぁ。

そもそもこういうのって、自分たちで作って食べるのがいいんじゃないですか?ビニールの包装紙を破って「今年の恵方はどっちだっけ?」ってスマホで検索して食べて、それってちょっとなぁ。

でもこれだけ捨てられても企業が売るということは、まぁ儲かるということでしょうし、特別恵方巻だけ目の敵にしてますけど、毎日のおにぎりやらハンバーガーやらも、負けず劣らず毎日捨てられているのでしょう。そしてそういう世界にしているのは、他でもない消費者である私たちなんですよね。24時間おにぎりが買える便利さ、というのも、それはそれで私たちが求めるものでもありますから。

生きることは、生き物を殺すこと、植物を収奪すること、といえばそれまでなのですが、もうちょっと食の来由をたずね、食の行方を思いながら食べたいものですね。