慈眼寺 副住職ブログ

3万ぶんの1

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180821-00000008-withnews-soci&p=1

中川翔子さんには前から「娘がこんなオタクに育ってほしい目標」ナンバーワンとしてかねがね注目していましたが、ただのエキセントリックではないものを感じていました。やはり、コレは学校で一つ間違えばなぁという気がします。そういう気になるのがもうダメなのかもしれませんが、「学校」という閉鎖的で、おかしな空間の中にいると、ふっとそこから一歩、出られなくなるんですよね。

教員側の立場でもそうで、やれ髪が茶色いだの、髪飾りがついてるだの、下着に色がついてるだの、よう考えたらおかしな話なんですよ。注意してる先生茶髪だったりするわけですから。下着白なんかと。コレ、セクハラになりますかね。人の色を聞くということは自分のこと聞かれても黙ってなきゃいけないですよね。

先生も仕事なんで、「バカバカしいなぁ」と思いながらも「なんか怒られそう」とかいう理由でなんとなくやっちゃってるわけで。「一つ許すと全部崩れる」っていうあの謎の強迫観念ね。そういう私もそんなのに囚われて、目を三角にして怒ってたこともあるわけですから、何も言えません。

そう。何も言えるはずがないんです。

いじめについて、言えるはずもない。
自分だって散々いじめたり、黙認したりしたわけです。一度や二度といじめられたことを根に持ちながら、「俺もいじめられた」とか、いい気なもんです。少なくとも私にはそんな権利はない。

思春期って本当に不思議で、なんで前髪切り損ねたとかそんなんであんなに死にたくなるんでしょうかね。

ちょっと一歩、下がって見たらわかるのに。

目の前の「友達」が一生友達なわけない。仮に友達のままでいたとして、それが何になるのか。結局は自分だけです。家族だけです。友達は他人。家族も他人。ときに家族より大事な友達もいるでしょう。でも、「友達がいた」という事実、認識が重要、というのが、より正確なのではないでしょうか。要は、「大事な友達(家族)がいる自分」という自己認識が重要ということです。結局自分なんです。どこまでも。

いじめの話題になると必ず嫌いだった先生の話を出す人がいますが、なんでそんなに嫌うのか。嫌う価値なんてないんです。覚えておくに足る人はほとんどいない。

「何も助けてくれなかった」

あたりまえです。他人なんです。さらにその他人の中でもだいぶ下らない部類の人種なんです。教員なんて。大学出て社会人経験もしないでえらそうに人にものを教えられると思い上がっている人たちなんです。専門分野で大したことないから教員やってるわけです。勉強しかやってないのに、その勉強すら二流、三流の輩。

そう思って目の前の卑小な大人を見てみれば、「ああ、この人も大変なんだな」と思えるし、逆に、人間として見てみれば「コイツ、案外面白い趣味持ってるな」と思えるかもしれない。

先生は立派じゃない。スーパーマンじゃない。助けられない。

そう思えば、ようやく人間としてお付き合いできる。先生を人間扱いしてほしいですよね。お互いのために。

10代の自殺が最も多い日の一つ、が、9月1日なんです。

しょこたんの記事もこの日のために書かれています。

新学期が始まるその日に、一番絶望している子供たちが多いという悲しい悲しい現実。なんなんだこの国は。

8月31日の晩から9月1日をピークとして、日本中でそんな思いをしている子供たちがいる。

しょこたんがこの記事で、「長生きしても3万日」と書いていました。

ハッとしましたねぇ。

一年365日ですから、3万日で82歳。まぁ、長生きの部類ですよね。85で31025日、90歳まで生きても32850日です。

3万円のおこずかい、だと思うと、怖いですよね。怖い。すごく怖い。

3万円とか、あっという間に消えますから。飲み会とか続いたら。コワッ!サラリーマンの月々の小遣いこんなもんですよね。怖い。

お金にたとえるのもおかしいかもしれませんが、「嫌なことでも何億日もあるわけじゃないし」「3万しかないなら、好きなことするっきゃないで!」と思えますよね。ヤバいもう俺15000円切ってるで!!!飲み会不参加でッ!

そんな大事な1日を、他人を傷つけることに使ったり、他人を傷つけるやつのことを考えることに使ったり、他人の髪や下着の色をチェックしたり、そんなやつを恨んだりすることに使ったら、もったいないですよ。死ぬほどもったいない。まさに。死ぬほどもったいないから、生きろ。

行きたくないとこに行く必要はないし、したくないことはしなきゃいい。自分が楽しい場所は必ずある。しようこさんも言ってますが、私もそう思います。

あ!俺、このために生きてきたんや!

っていう瞬間、必ずあるんですよね。

無駄だと思ってたことが、全部繋がって、自分の立つその場所に向かっていたことを悟る瞬間が。

「ああ、なんや。そうやったんや。」

何一つ無駄じゃなかったんだ、ということが。

だから、死にたいと思った最悪な気分のときすら、実は必要なときだったんだと。そこから逃げたから、今の場所にこれたんだと思える日が。必ず。くるので。

何もしたいことが見つからないなら、ぼーっとしていればいい。

私は雲の上までとどくような大きな木の上に小屋を建てて、そこに住む想像をしたり、自分にアストロンをかけて他人の攻撃を無効化する空想をしたり、床下に秘密の小部屋を作って10年間逃げ切る想像をしたりして、布団の中でクスクス笑って「あの時期」を乗り切りました。

嫌なことからは逃げたらいいんです。よく逃亡犯逃げてるじゃないですか。こんなこと言うたら大問題ですけど、案外逃げられるものなんですよ。泳いで逃げた人とか、15年逃げた人とか。で、すごいなーと思う半面、よくよく調べたら大変なんですよ。逃げ続けるのって。本当に感心するくらい大変。そんで気づくわけです。「ああ、逃げるより、戦った方が楽だな」って。でも、それに気づくために必要だったんですよね。逃げることがね。

まぁとりあえず、生きてるだけで、まるもうけ、ですよ。

死ぬこと以外はカスリ傷。

お坊さんの言うことじゃないかもしれませんけど、本当にそう思います。そして、私は「そういうことを言うお坊さん」になるために、色々やってきたんだと、思います。

がんばれ。がんばるな。どっちでも好きなようにしろ。結局おんなじことだ。