慈眼寺 副住職ブログ

新提案!

今日はとりとめのない話をします。

センター試験、終わりましたね。倫理の問題は爽快感のあるくらい出題を読み切っていました。
ヤフーニュースなんかで「フッサールとメルロポンティなんか出たよ」みたいな記事がありましたが、まさしく「絶対そこが出る」と繰り返し言ってましたので、バッチリです。もう有名どころ使いきって、現代思想のちょこっとしか記載のない人で驚かせるしかネタがないんですよね。ハンスヨナスを使わないといけないくらいにネタ切れで困ってて。思想内容に踏み込むと、もはや解釈の問題が出てきて4択にできないですから。そういうわけで、そろそろフッサール、メルロポンティ出すしかないだろうと。しかもこの二人は他の思想家との影響関係で引きずり出しやすいので、絶対くると思ってました。あとの現代思想の細かい人たちの問題は難問ではなく、普通に選択肢を読めばわかる問題でしたし、全体的に点数が取りやすい問題でした。まぁしかし、倫理の問題も昔よりずっと勉強量が増えてきて、なかなか今の受験は大変だなぁと思います。昔の問題なんか現国みたいな問題ばっかりでしたからね。

センター試験だけじゃなく、今って、若い人というか、現代人全体が大変な気がするのは気のせいでしょうか。

タバコ、酒、ギャンブル。なんか今全部「悪!」みたいな風潮がすごいじゃないですか。僕、どれもしないというか、最初から興味ないので別にいいんですけど、好きな人はタイヘンだなと。お酒ですらお付き合い程度。飲めと言われなければ、一年アルコールなしでも全然平気。ぶっちゃけてしまいますと、お坊さんとお酒って、昔は結構繋がり深くて。昔は大きな法要の手伝いにいくと、そこのお寺でお酒が振舞われたりしたんですよね。それがもう苦痛で(笑)仕事が終わったのに気難しいおじいさんのお坊さんのお酌をしなければいけないわけで。全然リラックスできないし、帰るの遅れるし、おじいちゃん毎年同じ話するし(笑)まぁ、そういうお付き合いって、いい経験でしたけど。

タバコは吸ったこともないし、ギャンブルは一度だけパチンコに1000円入れて、それが数秒で消えたときに「コレはアカン機械だ」と。

タバコは嫌いですけど、他人が吸うのはまぁいいかなと思いますね。ずっと40年間他人の煙に付き合わされてますけど、吸う人がいなくなるのは困ります。

「一日1箱と計算して30日で12000円。一年で144000円!俺は全く吸わないから、年間14万円は自転車に使ってもいいはず!

という論法が使えなくなります。

昔は男のたしなみ、みたいなもんだったのにね。

そもそも「男の」みたいな論調自体がもうダメって世の中じゃないですか。男女平等だし、色々な性のあり方とか、「男らしさって何よ」みたいな。単純に何も言えない。人間の多様な生き方が認められて、楽になったマイノリティもいっぱいいる一方で、常に誰かを配慮して発言、行動しなければならなくなっている。いい時代であるのは間違いないのですが、同時に大変な時代というか、常に「立派な現代人」のマニュアルを見ながら生きていかなきゃいけないみたいな。

だから飲む打つ買う全部ダメで、仕事人間で残業してもダメ。家庭を大事にし、育児も手伝う。でも「イクメン面して結局家事負担は私。”手伝う”という認識がおかしい。”して当然”と思ってほしい」という奥様の感情を逆立てないように、ため息も音を立てずに吐いて、かといって健康にも気を遣いながら、メタボはダメだから適度な運動をして。仕事場で同僚と打ち解けようにも「飲み会とかパワハラだと思います」とか言われて、「ハラ」のつくことに色々気を付け、鬱になった同僚にも「ガンバレと言うと、傷つくので」とガンバレとも言えず。子供に腹が立っても「怒鳴ると感受性が云々」と言われ、優しく諭し、褒めて育てて・・・。

こうなっちゃうと、ああもう!ってなって、トランプさんみたいな好き勝手やってる昔のアホなオジサンみたいな人に、ある種憧れというか郷愁と言いますか、「好きなこと言えていいな」っていう票が入るのも分かる気がする今日この頃です。

父の日はもう要らないので、じゃりン子チエのテツみたいなおっさんになれる祝日=「オッサンの日」を制定することを、希望します。