慈眼寺 副住職ブログ

いつまでも、錆びることなく輝く銀

連日日本はうだるような暑さ。世間はお休みでも、我々のような仕事はなかなか大変です(笑)
オリンピックなんて全然見られていないですが、お参りした先々で誰々が金とか銀とか銅とかの情報はとぎれとぎれに入ってきます。
私はあまり「日本を代表してガンバレ!」みたいな風潮は好きではなく、「応援される方もきついよね」くらいのメンタルよわよわな人間なのですが、そういう空気に勝てるような人だけが勝てるのかもしれません。
まぁでも、「国民の税金を使ってるんだから」みたいな変なプレッシャーはちょっと違うなと思うところもあります。本人がやりたいように身体を鍛えて頑張られて、他人が勝手にその成果でいい気持ちになってるような、ちょっと正直、卑しい感じのいいとこどりが「応援」だと思ってるので(家族は別ですけど)、そのへん応援する側はちょっと遠慮して密かに応援したらどうかなと思ってたり。そういう考え方、嫌な考え方ですかねぇ。

嫌な考えついでに、金を逃したときに、

「銀は金より良いって書くのよ」「銅は金と同じって書くのよ」

みたいなフォローも、世に広く流布していますが、また余計な一言を。

コレ、親御さんとかが息子娘の頑張りを称える言葉として、素晴らしい言葉だと思います。ちょっとトンチも利いてますし。
ですが、漢字の成り立ちとしてはやはり、いや、それはちょっと違うぞという。「親は木の上に立って見てる」的な嘘は、まぁ、世間話としては面白いのですが、それが「ほんとう」になるのは困りもの。

「銀」は金へんに「艮」。「良」ではありません。艮≠良。

八卦では「うしとら」ですが、これはむしろ二次的な意味合いです。
「艮」はほかにどう読むかと言うと「コン」または「ゴン」。字の成り立ちとしては目と匕の合体です。「匕」は匕首(あいくち)などという言葉がありますが刃物。目の周りに刃物で入れ墨をしてくまどりをする、という意味合いです。転じて入れ墨が目の周りに長く「とどまる」という意味合いが生まれます。古代から、洋の東西、男女を問わず、目を強調してメイクする文化はあります。「見」が正面を見つめる意味であるのに対し、「艮」は後ろをにらみつける意味合いがあるようです。この「後ろに睨みを利かす」には呪術的な意味合いも含まれ、そのあたりから、うしとらの鬼門の意味も出てきたようです。ただまぁこっちは先ほど言ったように当て字ですから。十二支とか「午」のときもそうでしたが当て字です。

で、「銀」です。
この文字は銀の金属性質をうまく表していまして、銀が錆びずにそのままの状態をとどめることから金へんに「艮」が加えられています。
「艮」を使った文字には他にも「限」「恨」「痕」、そのものズバリの「眼」なんてのもありますね。目に関係する字を二つ合わせてるので、過剰に「目」ですよね。「限」も階段の下で睨みを利かす。きっちり境界を定める。相手を留める。「恨」も悪い感情がずっととどまることですよね。「痕」はもう明白に病的なものがそこに残るわけで。「艮」はこのように、「とどめる」「とどまる」という意味からポジティブにもネガティブにも使われます。すごく悪くとらえれば、「銀」って「2位どまり」なんですよね。蓮舫さん!

そして「銅」はもっと分かりやすく、「同」は「穴をあけること」。銅が柔らかく穴を開けやすい=加工しやすいことを表しています。全然金と同じという意味ではないんですけど、でも金も加工しやすいよなぁ。そういう意味では「金と同じ」ですね。

で、別に銀や銅の人にケチをつける気は全くなくて、世界で2位ってすごいやん。3位でもすごいやん。胸張ったらええやんと思うんですね。相手も必死なんですからね。出れるだけでもすごいわけで。一方で「1位以外は全部敗者」という考え方でないと、ああいう世界には行けないのも十分分かります。ですが我々一般人がしかめっ面で「1位以外は全部敗者」とか言ってもカッコ悪いですからね(笑)勝負してない奴はおとなしく旗振っとけというね。

ただ、今回、私以外もみんな注目しているあの有名になった2位の人。最後にこの方に触れます。蓮舫さんじゃないよ!

http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160811-00000037-dal-spo

相変わらず、しょうもない質問をするマスコミ。どこの国の誰かは知りませんが、世界中のどこでも、マスメディアというものは、何かを「代弁」しようとしたがるわけですが、マスメディアはマスを媒介すればいいわけで、見て聞いてくるだけのカメラのレンズなんですよね。なんで勝手に「語る」んでしょうか。誰の何を「代弁」した気になってるのでしょうかね。

しかしこの下劣な質問に対して後ろを睨み付けて放ったオレグ・ベルニャエフ選手の言葉がカッコイイ!痺れた!日本ではラシュワン以来の美談として語り継がれるでしょう。(ラシュワンさんのアレは本当かどうか知らないですけど。)

敗れたものの誇り高い言葉です。「無駄な質問」をした無駄なメディアは自分の無駄さを深く深く自覚して無駄口を叩かずにメディアとしての本分を全うして頂きたい。

とはいえその「無駄」のおかげで、ベルニャエフ選手の素晴らしさは、長く金の横でとどまり、いつまでも語り続けられるようになった、その瞬間でありました。まさしく「銀」。素晴らしい金メダルと、素晴らしい銀メダル。それでいいじゃないですか。それがいいじゃないですか。

1位以外は敗者。でも、2位以下の人もみんな台を降りたら同じ地面に立って、また一番高いところを目指して横一線で戦うわけですから。