慈眼寺 副住職ブログ

異邦人

色んな所でバドミントンをするのが好きです。
旅先などで行ったこともないクラブをネットで調べて飛び入りで練習参加とかすごく楽しいです。

「積極的だよね。よく行くよね!」

とか言われますけど、別にそんなに人懐っこいわけでもなく、むしろ近所でもそんなに馴染めないタイプなんですけど。
むしろそんな性格だからこそ、全然知らないところで、しがらみや人間関係を完全リセットできるのが快感なのかもしれません。お寺なので引っ越ししたことなくて、転校とか憧れるんですよね。

自転車も気楽に遠い知らないところへ行けるうえに、電車や車よりずっとその街に「入り込んでいる」感がいいんですよね。異物感というか、異邦人感というか。

有名な「異邦人」の歌も悲しい恋の歌ですけど、個人的には二番の歌詞がツボなんですよね。

市場へゆく人の波に体を預け
石畳の街角をゆらゆらとさまよう祈りの声 蹄の音 歌うようなざわめき
私を置き去りに 過ぎてゆく白い朝

ここ好きなんですよねぇ。なんなんですかね。さみしげな描写なんですけど私には快いですね。置き去りにされたい。昔ハンガリーに一人で適当に旅したとき、よく知らない何の観光名所もないところのスーパーで果物の缶詰を買って、安ホテルで水圧の弱いシャワーを浴びているとき、ルンルンでこの歌歌ってました。ハンガリーってこの思い出と、両替でボラれた思い出しかないのに結構好きですね。

よく、一人で布団のなかで目をつぶって、よく妄想するシチュエーションがありまして。

追手がやってきて僕の家に入ってくるのですが、自分は隠し部屋に籠ってそこからずっと追手を覗いてほくそえんでいるという妄想。これを考えていると心が落ち着いて何時間でも目をつぶって楽しめます。ちょっと心理学の先生に分析してもらえれば、何らかの病と診断されそうな趣味ですね。間違いなく何かとてつもなく恥ずかしい診断結果が出そうです。

今日はちょっと私のあまり共感してもらえないような話をしてしまいましたね。それとも案外同じような趣味の人いるのかな。なんか根本的には人が苦手なんだと思いますね。たぶん。