慈眼寺 副住職ブログ

営業資本論

ここ最近ウェブページ関連の電話やメールが続いたのですが、その営業手法が実に実に興味深い。
マルクスが大喜びで「労働の疎外だ!」と手を叩くような資本主義の哀れな末路に思えます。私は共産主義者では全くないのですが、少しだけマルクスの肩を持ちたくなるほどに営業の手法が苦痛に満ちたもので、ナチスの拷問なのではないかと思うほどです。

 

ケース①

2月6日。初午の真っただ中。ある電話がかかってきました。

「○○新聞です。今回、○○新聞のウェブ広告部門のこの地域の担当になりました××です。そちらさまはホームページなどに興味をお持ちでしょうか?お持ちでしたら・・・・」

とのこと。

「申し訳ありませんが、今日は一年でウチが最も忙しいときですので、ご遠慮願えますか?」

とお答えして電話を切りました。
慈眼寺にHPがあるかどうか、事前になぜ確認する手間を惜しんだのかなぁと思いました。

 

ケース②

さらに先日、違う会社からメールが。以下、一部伏字で内容を載せます。

 

はじめまして。
ホームページを制作している株式会社XXXXと申します。
慈眼寺様のホームページを拝見いたしまして、ご連絡させて頂いております。

弊社は○○○○でホームページの制作・リニューアルを行っている会社でございます。
制作はもちろんですが、より良いホームページの活用や、PCサイトのみではなくスマートフォン向けサイトの制作等も行っております。

現在お持ちのページは開設されてからどれほど経過していますでしょうか。
開設されてから年数が経ってしまうと、ホームページ全体の構成はもちろんですが、ボタンを変更したいですとか、新しく写真を追加したいですとか、実際のサービス内容とホームページの内容が乖離してしまう場合がございます。
また、近年ではレスポンシブデザインやワンカラムレイアウトのWebページが流行しております。
ページを開いた際のインパクトが大きく、魅せることに特化しているためランディングページ(インターネット上の広告で使用されるページ)などでも多用されるデザインとなっております。
弊社の場合、ホームページ制作の際に専門のカメラマンがデザイナーに同行し、施設内の撮影を行いその写真を使用してホームページを制作致します。
そのため、高画質な画像でインパクトを持たせ、お客様の目を惹き付けることが可能でございます。
写真を入れることでお客様に施設内の雰囲気をお伝えすることができ、安心感と親しみやすさを感じていただくこともできます。
また、このようなページを求人専用として持たれる方もいらっしゃいます。

もちろん、いますぐ「リニューアルしませんか?」というわけではございませんが、もし宜しければ 今後のホームページの活用や近年のホームページの傾向(スマートフォン向けサイト・Facebookとの活用等)について一度ご挨拶をかねてお話させていただければと考えております。

参考までに弊社で制作いたしましたホームページの一部をご紹介させていただきます。
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突然のメール失礼致しました。
また、ここまで読んで頂きましてありがとうございます。
ご不明な点、疑問点等ございましたらお気軽にご連絡いただけましたら幸いです。

 

以上なんですが、HP開設どのくらいか、ブログを確認していつから書いてるかとかである程度わかる気がするんですよ。全部読めとは言わないですから。少なくともFacebookと連動しているかは、2秒でわかりますよね。それに、HPのアドヴァイスをするというのなら、お宅のHPのここがダメ、ウチならこうしてみせます!という形でやればいいと思うんですよね。一緒に東大寺を越えましょう!とか大言壮語するくらいなら面白いのにな。そんな気はないですけど(笑)

おそらく、ほとんどは定型文のコピペ。片っ端から法人サイトにメールして、名前のところだけ変えて送りまくっているのでしょう。おそらく、上の「弊社で作成しましたHPの一例」を私がクリックすることで、アクセス数がわずかでも稼げたら万々歳程度の計算でしょうか。

でもそれって、営業として、あまりにも何も考えていないですよね。そら恐ろしくなるほどに。

自分自身の理性を自己否定しているように思います。人間性の否定ですよ。だってチェーンメール、不幸の手紙と変わらない発想ですよね。

そもそもこれって、機械でもできる仕事ですよね。世の中どんどん仕事が機械化され、自動化されていっています。人間でないとできないことがだんだん減っているわけです。そんなときに、好き好んで機械でもできる仕事をわざわざしているわけです。

私は何も考えていないです。言われたままに労働を行います。私は賃金のためだけに使用者の言うとおりに労働を行い、自分自身の創造性ややりがいを全く求めません。私は機械の代わりです。不完全な機械です。

そう言っているのと同じです。

もしかしたらアルバイトなのかもしれません。自給いくらでこの手のメールをひたすら送りまくる仕事。バイトなら仕方ない・・・のでしょうか。

昔、アルバイトしていた塾で、塾長に、

「君はバイトだけれど、生徒にとっては先生なんだ。バイトだからバイトのように働くのではダメだ。君が塾を経営しているつもりで、君が生徒になったつもりで、君が親になったつもりで働かないとダメだ」

と言われました。いまだに大事にしている言葉です。

アルバイト、正社員。賃金は違います。権限も違います。責任も違います。アルバイトなのに責任もとれない越権行為はしてはならない。

ですが、自分はバイトだからと、バイトのように考え、バイトのように働いては、おそらく一生本当の意味では働くことはできないでしょう。
今行っている仕事は何を目的にしているのか。それが会社と顧客のためにどのような役に立つのか。自分の権限と責任内で、業務をより効率的に、よりやりがいをもってするにはどうすればいいか。そのように考えれば、バイトでも正社員でも全く関係なく、やりがいをもって働くことができるはずです。ある意味では進んでブラックに働くような、業務時間を越えても仕事のことを好きで考えているような人間でないと、結局何もモノになりません。

畢竟、業務内容の中身というのはどこまでも本人次第で高めていくことができる。やりがいはどこまでも高めていくことができる。これに尽きます。
マルクスが何を言おうと関係ない。

それをただただ言われたままにコピペして配りまくって、結果、「こんな会社、絶対に信用できない」と感じさせてしまう。会社も、未来の顧客も不幸せ。何より不幸せなのは強制された無意味で無内容な労働を行った自分の理性です。お金と引き換えに人間であることを捨てている。まさに労働疎外。人間疎外です。

こんな「仕事」がどんどん増えている気がします。何も責任をとろうとしない。

とりあえず働いた。少しでも高い金をくれ。

金は払ったんだから、こちらの言った通りのことだけをしろ。何も考えるな。

こういう社会って、アダムスミスにとっても、マルクスにとっても、不幸だと思うんですよ。

今日は特定の会社批判みたいになってしまいましたが、結局これが現代社会全体の趨勢であるように思います。どんどん外向きの、形だけしましたよ、という仕事ばかりの社会になっている気がします。修理できない家電量販店や自転車屋さん。ろくなフィッティングもできないメガネ屋さん。ズボンのすそ上げもできない服屋さん。

コストダウン、コストパフォーマンスって、経営コンサルタントの言うとおりにしてたら、結局こういう社会しかならない気がするなぁ。

実業、虚業と言いますが、この世は虚業ばかりなり、とならぬように、祈るばかりであります。