慈眼寺 副住職ブログ

おん祭り

ちょっと12月としては異常な暖かさが続いていましたが、さすがです。おん祭りに合わせてガツンと寒くなりました。
毎年12月17日は妙に寒い日が多いです。
子供の頃からこの日は学校は2時間で終了。りんご飴を食べに行ったりしたものです。

今日は住職も帰ってきたので、娘と私たち夫婦で、おん祭りを見に行ってみました。

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馬とか通るシーンもあったのですが、娘を肩車していて写真が撮れず・・・。

しかし40年奈良で生きてきて、このおん祭りのなんと言いますか、奥ゆかしさと言いますか、でしゃばらない感じと言いますか、そのまぁ、あの・・・、ゴメンナサイ、盛り上がらなさ、何なんでしょうか。

もちろん、もちろんお渡り式なんていうのは実はこのお祭りの中ではどうでもいいシーンで、前日の夜中とかに本当はクライマックスとかあるのは分かってるんですよ。中世ルネサンスを提唱している私としては1136年から一度も途切れずに続けられているこの行事、もっと注目しなければならないのです。写真撮影できなかった流鏑馬の集団も、元はといえばここでも話題に上がった越智氏や筒井氏などの大和の武士が奉納したのが始まりですので、中世趣味たっぷりのお祭りなんです。

しかしいかんせん、地味。祇園祭に対するインパクトのなさがいかんともしがたい。まぁ向こうは800年代からスタートしてますので、そこはまぁ仕方ないにせよ。なんでしょうか。住民参加の枠が狭い。やっぱり祇園祭は地元住民の支えというのが大きいんですよ。僕らが山鉾見てまわってる気がしてますが、実はアレ、逆なんです。

見られてるのは我々ですよ。

家の中から団扇あおいで、中の住民が、

「こんなにようけで詰めかけて、アホやわぁ」

と笑ってるんですよ。(被害妄想)

とは言え、子供さんたちに囃子を覚えさせたり、手ぬぐい売ったり、本当に街を挙げて盛り上げている。「みんなおきばりやす。観光客からお金とりまひょかぁ」という気概がある。「まえの戦争言うたら応仁の乱どすえー」みたいな模範解答も用意している。やり手。街をあげてやり手。その一体感が、奈良にはない。おん祭りにはない。奈良マラソンの方が盛り上がるくらい。大仏商法。

その奈良の観光しか能がないくせに、観光化されてないところが、いい、という方が主に関東方面にいて、奈良を偏愛していただけることもあるのですが、どこまでいっても京都のついでなんですよねぇ。泊まる場所もないし。そりゃ定数も削減されるっちゅーねん。っていうかガンガン削減して奈良県で一人くらいでええですわ。あ、話変わったな。

奈良はやればできる街だと思ってるので、なんとかおん祭り、もうちょっと盛り上がる方向にならんかなぁ、とも思いますが、伝統ってそのまま受け継ぐのが重要ですから勝手に盛り上げる方向にして火を吹いたりしたら全然違う方向になっちゃうしなぁ・・・。平重衡が大仏焼くシーンとか松永久秀が爆発するシーンの再現とかあればよかったのになぁ。やっぱり魅力的な悪役が必要な気がする!

お坊さんとしてあるまじき発想が端々にあったことを深くお詫びいたします。