慈眼寺 副住職ブログ

ポプラの枝

先日、とある本屋で本を見ていると、歌が流れてきました。

「君が涙のときには僕はポプラの枝になる
 孤独な人につけこむようなことは言えなくて」

言うまでもなく、中島みゆきの「空と君のあいだに」です。懐かしいですね。「家なき子」の主題歌ですから。
ただし、歌っていたのはご本人ではなく、いわゆるカバーというやつです。
誰かは知りませんが透明な声だなと思って聞いていたら、この歌詞が急に「すとん」と頭の中に入ってきました。

(ちなみに、家に帰って調べたら、歌っていたのはMs.OOJAさんという方らしいです。https://www.youtube.com/watch?v=5BGGoS21AVQ

中島みゆきという人は、端的に言えない人ですけど、無理矢理まとめると「情念」を動力にぐるぐる渦を巻いて動いてる嵐のような人だと思うんです。
「情念」で動いてるわりに、一周回って人間の感情を飛び越えてしまって、まるで巫女の託宣のような神々しすらある人ですので、逆効果として歌詞がどうとか逆に入ってこないときがある。個性が強すぎて何を歌っても「中島のなにか」が迫ってくるので、気合を入れないと聴けない。

そんなときに、「普通の上手い人(失礼!)」が歌っているのですーっと心に入ってきました。もう20年も前の歌なんですが、上記の理由で、今まで一度もこの歌に心を留めたことがなかったようです。それとも、この歌の歌詞がようやくわかる年になったのか。

ちなみにこの曲のB面は「あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのや」ではじまる、あの「ファイト」。なんつー濃いCDだったんだと思います。中島さん本人はこの「空と君のあいだに」を「家なき子」の犬の視点で書いたとのことですが、これは話半分と言いますか、犬の目線で語られる心象風景は紛れもなくモテない男子のもの。「いい人」で終わってチャラいイケメンに女の子をかっさらわれる男子の気持ちが切実すぎてキツいものがあります。

とはいえ、この歌で表されるのは男女関係に限った話だけではないです。

人が悲しんでいるときに、訳知り顔で慰める人がいますが、そんな人は本当の意味で思いやりを持っているのではなく、弱った人から何かを得ようとしている狡い人間です。何もお金をとるということでなくても、感謝されようという下心は決して思いやりから生まれたものではないです。

思えば死んだ母も私が落ち込んでも慰めてくれたことはなく、何かで成功しても褒めてくれたこともありません。

一度、高校の模試で国語が校内で一番になって大喜びで見せたところ、

「へえ。すごいな。で、悪いけど、洗濯もん、取り入れてきてくれへん?」

と言われて、「すげえなウチの親」と思ったことがありました。
晴れた日も雨の日も、変わらず毎日ゴハンを作って育ててくれてたんだなと、今になって思います。
娘ができた今、一緒に泣いたり笑ったりしながら、ただただ一緒にいて、私になりのやり方で、この子にとっての「ポプラの枝」でいようと思います。

私は、娘が落ち込んでいても慰めたりせず、突然カンチョーをするような父親になってやろうと思っています。

迷惑な枝なので切り倒されたらどうしよう。