慈眼寺 副住職ブログ

「花」に思う。

桜もちらほら咲きました。良い季節がやってきました。
しかし桜はあっという間に散ってしまいます。今週が盛りなのでしょうかね。

思 えば昔の人は、この花が咲くか咲かないか、散るか散らないかにずっとずっと気をもんで、歌を詠んでいたものでした。ちょっと異常なほどのこだわりです。ワ インや麦の収穫でもなく、食べられもしない花の盛りについてこれほどまでにこだわり、あまつさえ、この花の下で死にたいなどと詠う民族は、ちょっとやはり 特殊な気もしますが、案外似たようなものがどの文化にもあるのかもしれません。

さて、こんな朗らかな日ですが、この日しか自由がなく、奥さんの実家の墓参りに遠く三重県の伊勢のまだまだ先、志摩のさらに海っペリ、大王崎の方まで行ってきました。お盆やお彼岸には他人のお墓参りに追われていますので、なかなか自分たちの用事は後回しになります。

お伊勢さんはなぜか本当に私には理解できないのですが、とんでもない人気で、いつもおかげ横丁は大賑わいです。お伊勢参りは江戸時代からすごい人気ですが、なぜか形を変えていままた再ブレイク。

し かしこの人気も伊勢のトンネルを過ぎたらもう人っ子一人いません。「伊勢志摩」なんぞと言いますが、伊勢と志摩は車で1時間の距離があります。ちょうど体 感的には阪奈道路を挟んだ大阪奈良ほどの距離感があります。なぜまとめられているのかわからないほど遠い。その志摩のほとんど先っぽに奥さんの実家のお墓 はあります。そして、ここで私は、日本の地方が抱える大きな問題の縮図を見たような気がしました。

まず、この写真を見てください。

畔名

この花を見て、どう思いますか?

 

綺麗でしょう?

 

実 はコレ、造花なんです。ビックリします。この墓地の花のほとんど9割が造花です。増加のクオリティーは様々ですが、中にはこんなにリアルなものもありま す。日に焼けて色褪せたものもあります。でも、ほぼ全て造花なのです。奈良あたりにいるとこういう光景はほとんど見ないのですが、地方に行くとこういう景 色は実はもう珍しいものではなくなっています。

別に私は、造花などけしからんなどと嘆いてみせたりする気は全くないのです。「なぜ造花なの か?」という背景が問題なのです。通常、田舎へ行けば行くほどこういう仏事なんかはちゃんとしてるイメージがあり、都会の方が造花ではないのか、と思いが ちです。しかし、現実は逆なのです。

地方で生まれた子供たちはどんどん街へ出ていきます。あとに残されたのはお年寄りばかり。そのお年寄り すらいなくなればどうなるか。花をたむけにくる人もいません。しかし田舎ほど世間体は気にする。○○さんとこには花があるのに、△△さんとこにはない。そ れが気になる。結果、造花を置いておく、という文化になる。墓参り代行という仕事もでてくる。さらにこれは、受け入れ側の事情もあります。霊園墓地の管理 をする管理人がいない、もしくは人手が足りない。花は枯れます。ゴミになります。ウチのような小さなお寺のお墓でも、お盆やお彼岸にはゴミ袋10や20は 軽々超えることになります。なかなかの重労働ですし、人に頼めばお金もかかる。若い人は地方に残らない。お寺の後継もいない場合もある。

そうなると、「花はお持ち帰り下さい」という立て看板が立ちます。でも何もないのはあまりに殺風景。そこで造花になるわけです。

最近の造花は上の写真のように綺麗で、ちょっと見た目には分かりません。これも時代のニーズの結果ですし、故人を弔いたい、という気持ちに変わりはないので、一概にどうこう言うのもおかしいかと思います。

しかし一つの考えとして、以前お話したように、(http://www.nara-jigenji.com/diary/1996/) 生花を手向けるのは、別に花で故人を慰めるためではなく、花が枯れていく様を見て無常観を示すためである、という考え方にも基づいていますので、造花にし てしまうのは、その点では本末転倒ということにもなります。とはいえやはり、だからけしからん、という気持ちにもなりません。日本の地方に突きつけられた 一つの現実だからです。

「地方再生」などと聞こえのいいことを、東京のど真ん中で、政治家の「センセイ」がたはおっしゃっていますが、現実 に彼らがやっていることは、相も変わらず田中角栄以来の列島改造論から一歩も出ていません。最近また新しい新幹線ができましたし、どんどん公共工事で道路 は相変わらずできています。結果として地方に人が来る、のではなく、地方から人がどんどん出ていき、 地方には人がいなくなるだけ。さらに少子化対策とは名ばかりで、日本はますます子供が産めない国になっています。健康保険適応外である不妊治療の唯一の補 助といってよかった助成金は平成16年度から「42歳まで」となり、補助の回数も削減されます。つまり「42以上は成功率も低いから、お前らは諦めろ。 もっと成功率の高い人に投資する。」という「国民の選別」です。そのうち、偏差値が低い生徒は勉強するなという時代もくるかもしれませんね。まぁセンセイ がたは、「だから早めに子作りをしろ」という意味にしたいのでしょうが、何歳であろうと子供を欲しがる権利はあると思うのですが。まぁ政治家のセンセイが たは補助金なんて必要ないほどお金がありますから問題ないのでしょう。

話が逸れましたね。

都市への人口集中と少子化が進めば 進むほど、地方の都市機能の維持は不可能になり、限界集落が増えます。奈良県どころか、奈良市内にもいつそうなってもおかしくない場所はいくつもありま す。奈良県南部になるともっと問題は切実です。そうした日本のマクロな人口動態のミクロな見え方として、この美しい造花が並んだ墓地をとらえることができ ます。

造花が並んだ美しい墓地の横に、さらに真新しいものができていました。永代供養の合祀墓です。つまり、誰も祀る人のいなくなったお墓をまとめる大きなお墓ができていました。これもまたお寺に現れる日本の現実の一つの形です。

「お盆にみんなでお墓参り」という日本の風景は、すでに文化遺産になりかけているのではないか、そんな気持ちになったお墓参りでした。