慈眼寺 副住職ブログ

不妊治療について

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今日書こうとしていることを、書くべきか、書かざるべきか、今までずっと悩んでいて、今でも悩んでいるのですが、なんとなく、今日これを書かねばならない、という気がしています。

今日は不妊治療について書きたいと思います。

昨日私は子育てについてのなんだかよく分からない話を書きました。喜びでもあり、愚痴でもあるような内容でした。しかし、そもそも、娘が授かるまでには自分たちとしては大変な苦労を重ねてきた、ということを、今日お話します。まだ心の整理がつかないので書けないこともありますが、書けることだけ書こうと思います。

私たちは不妊治療を続けてきました。結婚したのが2007年。娘ができたのが2013年ですから、6年目に子供ができたことになります。不妊治療をはじめた時期は結婚2年目だったと思います。たぶん4年自分たちとしては頑張ってきました。なぜ期間が曖昧かというと、年月の経過を考えないように努めてきたからです。その理由はあとを読めばわかると思います。

私たちの場合、夫婦ともにすでに30代半ばに差し掛かり、決して若くはありませんでしたが、身体上は二人共なんら問題が見つからず、なぜできないのかはお医者さんにも分からないまま、治療を続けていました。治療をしている人としてはごく普通に、人工授精→体外受精へと進み、成果が出ないので、思い切ってお医者さんを変えました。なぜ変えたのかについてはいろいろありましたが、ここでは詳しく書きません。とにかく、気分を変えようというのが大きかった気もします。「もう若くないので、最初に最善の治療を」という気持ちで、大変高額な治療費がかかる病院に転院しました。

しかしここからが大変でした。不妊治療というのは、かなり大きな部分時間との戦いであり、同時に金銭との戦いでもあります。本当に、ポケットティッシュのようにお金がどんどん減っていきます。なにより大事なのが自分たちの心のコントロールでした。

医者でもないのに、偉そうなことを言ってしまいますが、つまるところ不妊治療というのは、確率の問題です。健康で若い男女がタイミングをピッタリ合わせて子供を作っても、妊娠確率は30%です。そして妊娠の確率を下げている様々な要因を調べ、少しづつそうした要因を取り除けるものは取り除き、あとは完全に確率の問題です。たくさん打てば、いつかは当たる。そう信じてやるしかないわけです。そうした意味では、婦人科のお医者さんは、産科のお医者さんと違って外科的な腕の優劣も出ませんし、治療の方法も実はそんなに種類はありません。培養液の種類と、採卵数をどうするか、という方針を決めるくらいです。採卵数というのは、体外受精の際の卵子をたくさん採卵して受精させれば、それだけたくさんの受精卵を作ることができ、いわば、沢山の矢を用意して的を狙えます。ですが、誘発剤の多用は母体にも負担をかけますし、体質によっては負担がさらに大きくなります。また、たくさん作ればいいというものではなく、一つ一つの質も重要です。受精後約5日でいわゆる胚盤胞という着床前の状態まで分化した受精卵はもっとも妊娠率が高いとされますが、実際には胚盤胞の中にも様々なグレードがあります。さらに5日で胚盤胞まで到達しなかった分化が進んでいない受精卵では妊娠できないのかといえば実はそんなことはありません。実際私の子供は胚盤胞以前の状態の受精卵から誕生しました。

医者でもないのにいろいろ書きましたが、つまるところ、こう言うと失礼なのは百も承知で、婦人科のお医者さんの仕事というのは、言ってみれば進路指導の先生のようなものだと思いました。ああしよう、こうしようと相談して、進路を決めますが、実際に試験を受けるのは先生ではない、ということです。もちろん細心の注意を払い、受精卵を培養させ、それを母体に戻し、と様々な専門的技術はあるのでしょう。その優劣や独特の培養液の配合など、あるのかもしれません。ですが、結局どこまでいっても確率の世界。できなかったら「はい残念、次ですね」で終わりということです。(もちろん進路指導の先生は親身になって頑張っている方ばかりです。実際には試験を受けるのは生徒だということの喩えです。)

このあたりの温度差というのは、仕方がないことなのですが、こちらは毎回、何十万ものお金を用意して一回に賭けて、「残念。次ですね。」というのは、ほかに言いようもなのですが、堪えます。確率の問題と言いましたが、いつ、「それ」がくるのか。運良く着床しても、だめになる場合もあります。もうそのときの落胆、悲しみというのは、経験した人でないと決してわからないと思います。お金の問題ではない、と同時にお金の問題でもあり、さらにやはりお金の問題ではない大きな悲しみもある。それとやはり所詮産科の先生も男性がほとんどで、男性はやはり人ごとだなと思います。経営コンサルタントの話を聞くようなひとごと感を感じることがあります。もちろんお医者さんに泣かれても困るんですが。

そして周囲の言葉。実はこれが一番辛い。本当に辛い。恨み言を言うようですが、すんなり「普通に」子供がいる人は、いとも簡単に言うのです。

「結婚して何年?まだ子供できないの?」

それがいかに残酷なことなのか、たぶん「普通」の人たちには一生わからないのだと思います。全く悪気もなくおっしゃるので、こちらも何も言えません。ただのひがみでしょ。「普通」のこと聞いただけでしょ。そう言われるのがオチです。こちらの気持ちを伝えて変に気を遣わせるのもいやです。生徒にもよく言われたものです。「まだなん?やばいやん!もう年やん!」でも、子供の言うことは聞き流せました。だって何も知らないから。ですが、いい大人が心配しているような顔で毎年会うたびに言うわけです。「まだなの?」「え?なんで?」「病院行ったら?」

行ってるに決まってるのに。

そして子供というのはオフィシャルな話であるように見えますが、子作りはとんでもなくプライヴェートな問題です。その領域に土足で入ることの意味を、とくに男性は本当に分かっていない。

でも女性でも同じかもしれない。テレビでは芸能人が「早く産まないと羊水が腐る」などという心ない言葉を吐きました。

「禁煙は保健が使えます」なんていうCMもあります。私たちは保険がきかないというのに。子供がほしいと思ってこんなに頑張っている私たちを助けてくれいないのに、好きでタバコをすってやめられない人に保険が効く。喫煙者には申し訳ないですが、理不尽さを感じました。

毎年の友人の年賀状。年々大きくなる友人の子供を見て、心から笑えない。笑えない自分が、人の幸せを喜べないようで、また自己嫌悪になる。

心のコントロールなのです。一番大変なのは。
ストレス発散で運動したら?なんて軽く言いますが、何か重いものを少し持ったあと、たとえば流産した経験があったらどうでしょうか。妊娠すると体温が上がります。もしかしたら妊娠したかも!という希望をもったとき、少し体が冷えてそこから体温がみるみる下がっていた経験があればどうでしょう。「残念、また次」を繰り返すうち、どんどんどんどん臆病になっていきます。もう、受精卵を戻したあとはそれこそ鶏が卵を温めるように、ずっと布団でくるまっていたこともあります。何がいいのか分からない。何が悪いのか分からない。ただ、確率を上げる。ただ、お金が消える。その繰り返し。

いろいろあるんです。妊娠にまつわる色々なものが。たとえば妊娠に効く針。妊娠しやすくなる体操。子授けのお寺や神社。子宝パワースポット。全部気休めです。ですが、頼れるものにはすべて頼りました。どれにも「効果、ご利益があった」という「経験者」がいます。ですが、そお裏にはその何百倍もの効果もご利益もなかった人がいるんです。カウンセリングもあります。でも所詮は当事者ではないんです。それでも、話して気が楽になればと話を聞いたこともあります。とにかく心がきつい。

二人とも、自分が悪い、自分が悪いと責任を感じ、とくにやはり女性は責任を感じてしまいます。男はいいです。仕事にいけばいいんですから。仕事に逃げてるんです。逃げられるんです。ですが女性はそうはいかない。働きながら不妊治療をしている女性は、本当に大変だと思います。何日以内にこれこれをしないと、というスケジュールがありますから、仕事の合間にそれがきちんとおさまるわけがないです。本当に大変です。ですが治療にはお金が要る、治療費を稼ぐために共働きになる。共働きで負担がかかるという悪循環もあります。どうしたらいいのか、本当に分からない。確率の世界だから。ただただトライするしか、ない。

自分は何も妻を助けられませんでしたが、ただ一つだけ、やってみようと思いました。とことん一緒にいる、ということです。何もかも奥さん任せにしない。二人の子供なんだから。二人で産むんだから。病院にもなるべく一緒に行く。そのために、職場も変えました。休みもつくりました。お金が必要なのに、収入が減りましたが、仕方がないと思いました。ただただ二人で歯を食いしばって、治療を続けました。

そしてだんだんとお腹のそこから染み出るような不安が湧き上がってきます。

今は希望をもったり、ガッカリしたりの繰り返しだ。しかしいつか、ガッカリすることもできなくなる日がくるのかもしれない。

お金がなくなったり、身体がもうもたなくなったり、気持ちがもたなくなったら、「子供を持たない」という選択を、いつかしなくてはならないのかもしれない。ある意味それは、夫婦を助けるものでもあるのです。子供が欲しいとずっと収入を治療に使い、行きたいところにもいかず、やりたいこともせず、ずっと子供を授かることに賭けて、自分の人生を犠牲にして、二人の関係もおかしくなってしまうなら、ふたりで生きることを選択すれば、また別の幸せがあるのです。ですが、その幸せを選ぶことにもまた勇気が必要です。何かを得るためには何かを捨てなければならない。その日がいつかくるかもしれないことをひしひしと感じながら、なるべくそのことを見ないように、ただただ子供を求める生活を続ける。

年齢だけは年々上がり、どんどん条件が悪くなる。障害を持って子供が生まれる確率も目に見えて上がります。35歳を境にまず先天異常の確率が0.5%を越え、42歳以上では2.5%に上がります。もちろんどんな異常があっても命であることに変わりはありません。ですが、できることなら、と思うのは当然のことです、何より、本当にそういう状況にならなければ、どんな想定も無意味だと思います。

いつも焦り。いつも努めて希望を持ち。しかしいつも裏切られるのを恐れて期待しすぎないようにする。
一番大変なのは心のコントロールなのです。本当に。

「孫の顔が見たい」
そう言い続けた母は、一度も孫の顔を見ることなく、母が亡くなったあと、3人の孫が生まれました。生きていればどんなにか可愛がってくれたことか。「お母さんに孫の顔を見せる」それだけを願って頑張ってきた私の願いは、かないませんでした。

そして新しい病院にかわって何年かして、もう二人とも限界だ、というとき、冷凍保存しておいた受精卵の最後の一つ。受精卵は状態の良いものから戻します。ですから、そのとき採卵した卵子からできた十数個の受精卵のうち、もっとも状態の悪かった受精卵が、はじめての私たちの子供になりました。いつかこのことを知って、娘が気にしたらどうしよとも思いましたが、私は胸をはって娘に言う覚悟ができたのでこれを書いています。

「たまたま大きくなるのが遅かっただけや。おまえは最高の卵からできた最高の子供や。おばあちゃんの生まれ変わりや。」

と。

 

こんな思いをしてようやく授かった娘です。

そんなことを忘れて、子育ての愚痴なんてこぼしている自分に、「調子のんなよ。望んで望んでようやく授かった子供の世話だぞ。何がつらいものか。」という気持ちでこんなことを書いています。そして、世の中の不妊治療をしているご夫婦を少しでも力づけられるようにこんな長々とした文を書きました。

こういう経験をしたから、そのぶん誰かに絶対に優しくなろう、そう思って生きています。苦労なさって子供を授かったご夫婦を見ると、本当に我がことのように嬉しいです。私のような心の狭い人間では考えられなかったことです。

「前向きに前向きに、人を妬まず、そんな風な心持ちでいないとダメだ」なんて自分を追い詰めているときもありました。もちろんそうなのですが、ときには愚痴や後ろ向きな考えや、妬みもあっていいと思います。どこかで切り替えて、また頑張るしかないんです。そして、頑張り疲れたら、いったん休むのも全然構わないと思います。なんのアドヴァイスにもなりませんが、ただただ自分の感じたことを正直に書きました。

明日から、また、妻と娘と、また違った形の困難の待ち受ける人生と、毎日毎日戦いです。

「人生は止まらない列車や。」

と西原理恵子が言いましたが、悲しみも喜びもたくさん感じながら、死ぬそのときまで列車は走るんだなぁと。これで安心、とか、これで大丈夫、なんか、ないんやなぁ、と。いつも必死。いつも一生懸命。でもいつもダラダラ遊びながら。走っていくんだなぁ、と。

そんなことを考えています。