慈眼寺 副住職ブログ

レヴュー:読書録 『ラスト・ワルツ』柳広司

ラストワルツ

ときどき読んだ本のレヴューなども紹介していきたいと思います。

中学の歴史でいつも半笑いで教えている「欧州情勢は複雑怪奇」という情けないセリフで平沼騏一郎が退陣し、「日出るところ」の「神国日本」が坂道を転げ落ちていくまさにその時、影で暗躍する日本陸軍所属D機関のスパイたち、というワクワクする刺激的な舞台設定で、今回も存分に楽しませていただきました。柳広司のこのシリーズは最初の「ジョーカー・ゲーム」から大好きで、全冊文庫化まで待てず、高いハードカバーで購入しています。その価値があります。

 「死ぬな、殺すな、とらわれるな」を不文律とするD機関のスパイの、今までのスパイアクションを根底から覆すような徹底したリアリズムと、もはや観念的といっていいスパイたちの孤高のスパイ思想のミックスされた魅力がたまらなくカッコよくて、ずっと楽しんで読んでいます。理系っぽい道具を散りばめつつ、どこまでもはてしなく文系な彼らが実に実にいいです。

009とかミッションインポシブルの「体育会系スパイ」の目立ちすぎる活動と完全に対局に位置する地味で地味でひたすら地味で、ぶつぶつ何か言いながら始終まわりには注意を払っていて手癖が悪いという正直全然カッコよくないスパイですが、本人たちの自負心の中でだけめちゃくちゃカッコイイ。おまけに苦労して手に入れた情報は、軍部上層部の馬鹿将校やおめでたい政治家に完全に無駄遣いされて「複雑怪奇」とか言われておしまいという「報われなさ」もこの作品の絶妙なスパイスです。やがてくる敗戦という結末を知っているからこそ、スパイたちの孤高の姿がカッコよく、物悲しい。この手の「地味スパイ路線」でのほかの名作と言えば、間違いなくブラッドピットとロバートレットフォードの「スパイ・ゲーム」ですが、あっちはちょっと派手で、私情挟みすぎ。でもスパイの兄貴と弟子の口八丁手八丁で、アームチェア・ディテクティブよろしくオフィスから出ないで全て解決してしまう鮮やかさは共通するものがあり、これぞスパイや!と文学部卒の私は拍手喝采です。

 そして何よりの魅力は、D機関スパイの、特に「魔王」結城中佐の虚実ないまぜになった、何が「ほんとう」かわからない正体のつかめなさ。「空」の思想を体現したようなつかみどころのない結城中佐の「あんた、寂しくないの?」と言いたくなるニヒリズムが実に東洋的で、ハリウッドでは絶対に表現できへんで!とワケのわからない自負心を読んでるこっちも勝手に持ち始めてしまいます。昔の角川映画みたいに映像化してくれないかなぁと思っていたら、悲惨とは言いませんが、絶妙にズレたキャスティングで映画になっていました。ジャニーズだけは使ったらアカンやろ・・・。

 タイトルから、もう最後?とか思ってたら全然そうではなく、どうやら終戦までいってくれそうな予感。百田尚樹とか読んで気持ちよくなってるエセ体育会系の世間に、「死ぬな。殺すな。とらわれるな。」の文系の怨嗟の声で心胆寒からしめてやりましょう。ちなみに冒頭の「欧州情勢は複雑怪奇」のセリフの平沼騏一郎の直系ではないにせよ子孫にあたるのが「たちあがれ日本」の平沼赳夫です。なんか、色々切ないですね!