「目標」を持ってから、”考える”こと。
ロザンなんて全然面白くない、けれど。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161215-00000022-asahi-soci
ここ最近の教育関連の記事で、一番納得した記事ですね。尾木ママの2万倍くらい説得力ありますよ。
受験生にコピーして配りたいくらい。いや、配りますね。コレは。
大事なことが書いてあります。なんというか、内容が立派なのではなく、スキルとしての受験勉強、の、「プランニング」の部分として秀逸です。分かりにくい表現になってしまいました。言いたいことが微妙なので。言い換えます。
目標自体の価値を評価したいわけではなく、目標をとりあえずなんであれ決めて、それを達成するための手段としての「努力の仕方」として、ものすごく本質的だと思います。
「お笑い芸人になるために、ネタは作ったことはないけど、京大に入ろうと思った。そのために勉強した。」
と、聞くと、まぁ「本末転倒だな」と、思わなくもない。芸人なんだから、ネタを作れよ、と。
でも、そうじゃない。と、いうより、そこじゃない。
正直に言いますが、私、宇治原さんのネタで笑ったことは一度もない。印象に残るフレーズもない。
でも、彼は芸人として生き残っている。
その事実がすごい。「芸も磨かず、クイズで活躍、なんやそれ。」いやいや、それが彼の選択した「芸」なのです。
みんながみんなダウンタウンにはなれないのです。
目標のあとは、プランを立てる。
なんの個性も話術もない人間なら、誰もやったことのない「京大芸人」というのをやってやろう。この発想一点で突っ切ったことがすごい。これは2番煎じではダメです。誰よりも早く京大に合格して芸人になったもん勝ち。もう負けるのは東大だけ。でも、関西限定なら、京大の方が生き残れるくらいです。しかも実際に合格したら、普通少しは揺れる。一流企業にも就職できる。そっちへ流れる方が堅実。でも彼はぶれなかった。そこがすごい。
京大舐めてんのか。学問舐めてんのか。
そういう意見はあるでしょう。
でも、本当に学問の魅力に取りつかれて京大に入って、入学後も勉強にどっぷり漬かる人なんて、どれだけいるというか。
そもそも「なぜ京都大学でなければダメなのか」という志望動機を、ハッキリと答えられる人なんて、どれほどいるというのでしょうか。なんとなく、「偏差値が(関西で)一番高いから」「就職に有利だから」というぼんやりとした理由がほとんどでしょう。それなら、「芸人になりたいから」という動機はよほどまともです。
目的そのものの価値は、人それぞれ感じ方が違いますので、どうこう言うのは無意味です。要は、自分が欲しいものを手に入れるために、どんな道筋を頭の中で描くのか。その計画を、自分の頭で行う。理性というのは本来そのためにあるはずのものですが、そこのところをおざなりにして、とりあえず与えられた目標をこなすだけ、小手先のスキルだけを求めるから、勉強が楽しくない、成績も上がらないわけです。
友人に予備校の講師がいますが、彼もやはり「プランニング」の重要性を説きます。東大や一橋大、京大に合格する子とそうでない子の差は何か。「目標達成のために、何が必要で、何月までに何をやれば、合格するか」というプランを、自分で考えられる子。そこのところが一番大事だと彼は言います。結局、自分で考えない人間には決して道は開けない。言われた通りのやり方では、勝てない。言われた通りのことばかりする人たちばかりなのですから、同じことをしていては差は出ませんよね。
でも別に東大へいく子だけがそんな能力があるわけでもない。そこへ行きたい必然性がある子なら、自ずと考えるわけです。そうやって、中学では全然目立たなかったのに、高校に入って猛然と成績を上げて、希望の大学に合格した子はたくさんいます。東大に「なんとなく合格した」人より、よほど価値があると思います。
「成功する人」は、「優秀な人」ではない、と思います。「成功する人」は、「自分で考えている人」なんだと、やはり思います。この、「自分で」の部分が何より重要なんですね。親や先生が代わりにテスト受けてくれませんから。
”簡単なこと”が全然簡単じゃない件
また、彼の目標達成のためのスキルも実に示唆に富む。
「簡単な問題を落とさない。簡単な問題を何度もやる。」
これが分からないんですよ。凡人は。
800点満点の9割を取るために、残りの1割の勉強ばかりして足元が覚束ない。ほとんどの受験生がこうなんですよね。私も完全に凡人の類です。大学合格のためにはマニアになる必要はない。正確に言えば「受験マニア」になる必要はあっても、「英語マニア」「数学マニア」である必要はないのですね。
スポーツもそうで、下手な人ほど、華麗なプレーに走る。体力も正確性も全然違う人同士が、同じことをしたら、結果は火を見るより明らかなんですね。自分にできること以上を欲張らないことと、基礎を固めることの大事さ、これは何度言っても言い足りないくらいですが、実際にはこのことをちゃんと理解している人はほとんどいない。
受験生で一番ダメなパターンの末路は悲惨です。毎年います。
今年KKDR(関東ならMARCH)に落ちた。→「来年には今年よりもっと賢くなっているはずだから、予備校で早慶コースを選択して、今年合格した同級生を上回ってやる。」
こういう考えをする。
これは完全に大損するギャンブラーの思考法ですよね。
このパターンは本当に悲惨。そもそも、偏差値60ランクの問題が解けないから落ちたわけです。なのに偏差値70ランクの授業を受けても絶対分からない。こんなんただの見栄ですよね。見栄で年間100万円くらい余計に出して、意味の分からない授業を延々受ける。その結果どうなるか。
だんだん、だんだん、受講生が減っていきます。
分からな過ぎて、ついていけないんですね。本当に、SVOCもサイン・コサインも分からないような子が早慶コースにいるそうです。下手すると、「一番基礎ができてない子が多いのが早慶コース」だそうです。恐ろしい。
簡単なことでも、分かっていないことがある、と宇治原さんは言います。そうなんです。正解した問題でも、100%問題の出題意図まで読んで、解答できていることは滅多にない。間違った問題は成長の宝庫ですが、正解した問題もまた同じです。正解したから、と言ってほったらかさない。選ばなかった選択肢はなぜダメなのか。「何となく」とか「習ってないから」では不十分なんですね。そこを確認することで、実は簡単な9割を解いた残りの1割を解答できる実力にも繋がるわけです。
人は失敗するいきもの
最後に宇治原さんが「失神した」というエピソード。これも私共感できます。前にもこのことを書いた気がしますが、宇治原さんの一年前にセンターを受けた私は、英語の問題解答中に、パニックになったんです。思っていた問題と傾向が違う。何度も過去問をやって、ほぼ8割取れるという確信ができての受験だったのに、全然分からない。「分からない」と思った途端、全ての英語が頭を滑る。ものすごい汗が出て、目の前が真っ暗になりました。
そこから20分、私は、「どうやれば明日再試験を受けさせてもらえるかということを脂汗を流しながら必死で考える」という「無駄」をテーマに快慶が仏像を彫ったような状態になりました。色々考えましたよ。おじいちゃんが危篤だと言うとか、わーって奇声を発しながら廊下を走り回れば保健室へ行けるかもとか。
20分後、ようやく我に返って英語を解きましたが、あのときばかりは、
「終わった・・・。」
と思いました。
ですが、そのあとがよかった。完全に英語のことは忘れて他のことに集中できた。もはや第一志望の合格は完全に諦めましたけど、とにかく最後までやり抜いた。これがよかった。実は全然終わってなくて、英語以外は全部予想通りか予想以上取れた。
習字でもそうなんですけど、一画目の「、」とかで失敗して、「ああダメだ!」ってなんか偉いセンセイみたいに半紙をくしゃくしゃにする人います。私です。でも、そこで切れないで、最後まで書いてみたら、案外習字の先生に褒められたりするんですよね。簡単な計算なんですよ。最初にミスする確率と最後にミスする確率は同じなんです。そして最初でも最後でもミスの価値は同じなんだと。そこに気づくかどうかなんですよね。
で、人はミスをするものですから、ミスをしないことより、ミスしたときにどうするか、それだけを考える方が合理的なんですね。でもそのことは経験しないと分からない。失敗の経験はなるべく早いうちにした者勝ちです。早めに負けたもん勝ち。ただし、純度の低い負けは何の経験にもならない。本気で頑張った人だけが本当の意味で負けられる。負けたもん勝ち、というのは、少しでも早く本気になったもん勝ち、ということの言い換えでもあります。
宇治原さんのすごいところは、失神して落とした問題の点数を冷静に把握できているところ、そしてそれ以外の問題が満点だったところ。これは並外れた勝負師ぶりですね。750取るつもりだったから、30失っても720!リアルな合格ラインです。そしてその結果、自分の計算と採点結果の誤差が1点!なかなかここまで冷静に自分の実力を把握できる高校生はいない。素直にすごいと思います。
京大に合格していない私からの一言
まぁ、ただのお坊さんが京大合格についてあれやこれやと言えるはずもないのは承知で、「努力」する前に、努力の方向をキッチリ見定めることの重要さの教材として、この記事は実に示唆に富むと思います。本当に過不足なく冷静に書かれていて、よくある成功者の自慢だけを聞かされる感じもない。どこかこの人乾いているんですよね。この記事を読んでますますそれを思いました。
とにかく、2学期も終わって完全な受験シーズン。
受験生には、まずは何より健康第一で、手洗い・うがいをして、迫りくる試験に焦らずに、焦ったら焦ったで「焦ってるなぁ」と思えるように、日々を過ごしてほしいですねぇ。
まぁ、死ぬわけじゃなし。
受かっても落ちても人生は続くわけで。思う通りにならないのが人生ですが、受験なんてのはかなり思い通りになる部類のことです。振り返れば大学どこ出たなんて、どうでもいいことですが、極論を言えば、世の中どうでもいいことばかり。
でも、自分の中にだけある満足を、自分で考えて追いかけるのは、全然どうでもいいことじゃあ、ないですよね。
満足なんてすべて自己満足なんですよ。他人の満足なんて屁でもない。
その誰でもない自己の満足を追いかけて、自分で考えて、悩んで、とにもかくにもゴールしてほしいですよね。さっきも言ったように、ゴール自体に価値があるんじゃあないので。
今日もじこまん街道まっしぐらの副住職から、頼まれてもいないのに全国の受験生に、余計なお世話でした。テヘ♪