慈眼寺 副住職ブログ

ブラック部活の未来を予言

さいきん教員の部活動の話題がよく新聞などに載りますね。
http://news.yahoo.co.jp/feature/156

まぁこのへん、まさに進んでブラックに突っ込んでいくような私なので、客観的な意見とはとても言えないのですが。

確かに法律で言えばアウトなんですよね。
でも若い先生がいきなり入ってきて、「部活は義務じゃないんで!」とか言われても、ちょっと困惑するところもあり。「自分、子供の時、部活の先生のことどう思ってたん?知っててこの仕事選んだのでは?」と思わなくもない。ですが、もうそういう論法が通用する時代でもない。PTAの話もそうですが、やっぱり社会に余裕がない。「ゆとり」とか言いますけど、「ゆとり」教育の現場自体には全然ゆとりがないわけです。

「ゆとり」って、実は教科書の内容の話だったはずが、結果的には「ゆとりを与えるべき・与えられるべき」という権利主張の問題ですから、一枚板を剥がせばそこはもう純粋な法廷闘争の釜が煮えている。

今の部活が不幸なのは、子供がどんどん減って、グラウンドや体育館などは自由に使えるエリアが増えているはずなのに、部活の選択肢が減っていること。子供が少ないのに競技のニーズは増えているから分散する。結果、部活が最小限の人数を維持できなくなっている。クラス数も減っているので先生の数も少ない。結果、教えられる先生がいないと廃部になるクラブがあったりする。そもそも、これは昔からの話ですが、まったく未経験の先生が、いやいや部活をやらされ、上の記事のような不平不満で爆発しそうな現場で、子供が楽しく部活できるわけがない。やったことのないスポーツを見せられて、生徒には「あの人は下手くそ」とバカにされ、部活でのケガの責任は取らされる。競技が上手い先生でも、指導の仕方によっては恨まれる。子供が部活に熱中しすぎて成績を下げれば今度は親が来る。これは確かにブラック。ブラックを超えてバンザイ・アタック。

生徒を上手くする、なんて考えなくて、ケガをしないように、穏便に、無事3年でやめてもらって早く受験に集中してもらう。暗くならないうちに早く帰って塾に行って!そう思っている先生も少なからずいるような気がします。

ところが社会には、お金は抜きでもそういう競技を見てやろうという上手な人はたくさんいます。そこで外部コーチというニーズがでてきて、それこそ「餅は餅屋」でいければ話は早い。ところが学校というのは閉鎖的な場所であり、閉鎖的でなければならない部分もあります。ただただ「競技がうまい」という基準で人を選んでは、どんな人がくるかわからない。いい加減な大学生がたわむれに遊びにくるようでも困ります。OB頼みでも継続性がありませんし。

なので、誰かに丸投げしたい!という先生と、無給でも教えたい!という人がいるのに、ニーズがかみ合わないという不幸な状況がそこらじゅうで起こっていることになります。

こういうことは欧米では地元のクラブチームがすべて受け皿になっていて起こりません。韓国・中国などのアジアではスポーツはスポーツのエリートしかやらないので、これまた起こりません。日本の「部活動主義」、「甲子園大好きアマチュア主義」という伝統文化があり、そしてもはやその維持が相当難しくなってきたのが根本的な原因だと思います。「土日のクラブ指導は労働基準法違反なのでしません!」と宣言する教員を、「アイツはゆとりだから・・・」と陰口を叩いて済ませていい問題ではないんですね。きっと。

基本的にはおそらく、外部のクラブに丸投げで委託する、そこからコーチを派遣してもらう、という方法がだんだん増えてくるのかなと思います。何か問題が起こったときの責任の取り方だけが問題になってきますので、その場合の事前の誓約書や保険なんかの加入など煩雑な仕事も増えると思われます。また、学校の体育館などの維持や保守も財政難でどこもなかなか厳しくなっている一方で、新設の学校と古い学校との設備の格差の問題もあります。たぶん私立のほうから公立へとどんどん外部コーチの制度が進んでいく可能性があります。

また、受験と部活動の両立がどんどん困難になっています。だからといって本当の意味で学生が勉強熱心になっているようには全く思えないのですが、とにかく学生生活に余裕がなくなっています。経済格差が広がる一方で、国立大志向だけは高まり、そして国立に入るために塾通いでお金がかかるという一見矛盾した状況になっています。

進路別収支計算という、バカバカしいけれど切実なことを本気でやると、案外どちらを選んでも「比較的得・損」という微妙な計算になると予想します。国立だって遠方なら仕送りバカになりませんし。「損して得とれ」みたいな考え方で有名私立の付属に通わせるとか、「いやいや、就活の人事担当は大学より高校を見ている!公立で部活をしっかりやってる子のほうが評価される!」とか、そりゃあもう複雑な計算式になります。複雑すぎて「その人次第」っていうシンプルな結論だと、みんな分かってるんですが、わが子のこととなるとそりゃあ一喜一憂しますよね。

そんな複雑で余裕のない学校の状況で、「部活」という「よとり」の塊のような要素は、ある意味で非常に「ぜいたく」なものに、既になっている気がしています。生徒も教師も、当たり前のように毎日毎日盆と正月以外は学校に来て走ってる、みたいな部活は、「古き良き伝統芸能」みたいになってしまって、その学校の勝てそうな競技だけに「選択と集中」を行い、傭兵みたいな外部コーチが来て一部生徒を指導、見込みのある子だけ追加料金で放課後のクラブチームに連れて行く、そういうのがリアルな部活になっている、と予言しちゃいます。

自分がクラブの指導なんかしといてなんなんですけど、僕らなんかは名ばかり顧問がたまーに見に来るクラブで、先輩に「水飲むな!」「ずっと立ってろ!」とか言われてうさぎ跳びして膝痛めても誰にも文句を言えずに泣き寝入りだった世代ですので、うん、たぶん今の予想の方向のほうがいいよねって、思わなくもない、かも。トホホ。