慈眼寺 副住職ブログ

あの娘、僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろ

吉本興業の芸人さんであるなるみさんが43歳で第一子を出産されたそうです。
出産は、どんな出産であれ喜ばしいことであり、喜ばれるべきことです。
日本では毎年30万件の中絶が行われているという現実と対比するまでもなく、単純に、そのものとして、命の誕生は喜ぶべきことです。

とはいえ、43歳の第一子出産というニュースは、日本中の不妊治療に悩むご夫婦に、希望を与えることでしょう。

奇跡だ、などと簡単に「奇跡」という言葉を使う人がいます。

そもそも軽はずみに「奇跡」という言葉を使う人が多いことには、本当にうんざりします。奇跡とは、死者が蘇ったり、水が葡萄酒になったり、海が割れたり、生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と喋ったりすることです。50代でも出産の例がありますので、全く奇跡ではありません。

とはいえ、起こりにくい状況で、起こりにくいことを引き起こすための努力というのは、並大抵のものではありません。
それを、仕事をしながら、毎日毎日笑顔で、「ある時!」とか言いながら、病院に通って、高額の治療の結果に一喜一憂して、一歩一歩暗闇を歩くような努力を続けてこられたことに、心から「よかったね!おめでとう!」と言いたい気分です。奇跡と呼んでしまうのは、そういう人間の地道な努力をすべて否定する言葉のような気がして、私には違和感があります。現実です。理想を、努力で、現実化しただけです。だからすごいのだと思います。

と、同時に、こういう有名人のニュースはいつでも議論を呼ぶものでもあります。
以前、50代で妊娠なさった芸能人に対して、同じ女性として確か遙洋子さんが語った内容が、印象に残ったのを覚えています。

 

以下、引用です。

「53歳妊娠」…。いいかげんにしてくれないかなぁ、というのが、働き続け子供を産みそこなったシングル女性の私の気持ちだ。「坂上みき53歳妊娠」のメディアの大騒ぎについて。

いいかげんにしてくれその1。
この報道後やたらメールが来る。私同様、オンリーキャリア、ノンチルドレン女子たちからだ。
「53歳妊娠だってぇ!!」の件名にどれほどうんざりしたことか。
なにを騒ぐんだ。うらやましいのか。しまったという思いか。うまいことやりやがってという妬みか。素朴な拍手か。
おそらく、騒ぐ女子は何が自分を突き上げるのかの自己分析すらできていまい。“53歳妊娠”と耳打ちするだけで、誰かの心が爆破される。それほどの衝撃力がある。

いいかげんにしてくれその2。
あらゆる精神的な混沌をいっさい無視して、タレントが言う「勇気をもらいました」系のコメント。
私もタレントだが、その私自身が、「タレントはバカか」と思う一瞬だ。
勇気はもらえても年取った女にそう簡単に子供は授からない。その現実をいっさい無視したコメント。
“53歳妊娠”にうっかり勇気をもらった人たちは、どこかで課せられた感のある子産みを先延ばしにし
やがて自分がもはやその対象年齢ではないことを思い知らされ断念した時に、あの時の希望と 勇気が、自己嫌悪と怨念に替わる時がくる。必ず来る。

いいかげんにしてくれその3。
そもそも、なぜ女子たちがここまで先延ばされた子産みに憧れるかというと、それがたいそう ハンパなく負担になることを皮膚感で知っているからだ。
やりたい人生をできるだけ独身で 挑戦し、その後、子がほしい、という女性たちがこの種の報道から“勇気”をもらう。
それが 何を意味するか言ってやろう。
この国の男女共同参画がいかに嘘っぱちで、「仕事も家庭も出産も」がいかに困難で、 現実は何かひとつ得たらどれかを手放さなければならないことなど、現代社会を生きる女性なら理想的スローガンを超えて、それがハードルの高い挑戦であることなど百も承知だから。
だから先延ばしにするのだ。坂上みきはだから、先延ばしの女王として君臨しているのだ。

いいかげんにしてくれその4。
無知。
何歳まで妊娠できるか、とか、妊娠力とか、女性誌などで特集しているが、あれを信じていいのか。
それくらい女性自身が自分の体について無知極まりない。
アラフォーなどと浮かれている場合じゃない。現実を知ることから設計をするという機会すら、
女性たちは獲得していない。

では、私が獲得したひとつの情報を公開しよう。
「日本受精着床学会雑誌」という医学学会誌がある。一般では購入できず、なんと1万円もする。
印象に残った文章を披露する。
「45歳以上の症例の対外受精胚移植の成績を報告する…(省略)生児を得ることが可能であったのは2症例(1.5%症例)のみであった」
「我々は45歳以上ではいかなる卵巣刺激方法をもってしても採卵数および妊娠率に変化を認めなかった」
…恐ろしくはないか。
主観で、無茶を承知で要約しよう。子供を産みたければ35歳までに決断を。45歳ではもう手遅れ。
35歳から40歳まではまだなんとか不妊治療対象として可能性があるが、高額出費やそのことに人生の目的を集中したくないのなら、35歳までだ。

「子供がほしい人は35歳まで」ということこそ、学校や社会で声高に広めるべき情報なのに、 53歳まで子が産める情報のほうが優先する。

そして「うそ!」という現実をやむなく受け入れ断念した女性たちが、“53歳妊娠”に心を爆破されるのだ。
だが、改めて振り返り、35歳の時に、仕事をいったん横に置き、子育てに専念できたか。
20代で産むとキャリアを放棄する人生が待ちうけ、35歳で産むと築いたキャリアから転落する恐怖心がまだまだ今の女性たちにある。残念だが、環境や条件に恵まれた女性以外は、仕事か子育てかどちらかを選ぶしかない。選んだ以上は、腹をくくるしかない。

35歳までに、どっちの人生を選択するか決めてください。坂上みきを目指したら、将来、自分を恨むことになるでしょう。

(引用終了)

 

ちょっと言葉遣いはどうかなぁと、もうちょっと冷静な書き方はできないものかとは思いますが、とは言え、不妊治療の問題について、こういう立場からの発言は今までなかったような気がします。男性がコレを語れば社会から抹殺されると思いますし、逆に女性で子供を持った方が発言しても、逆にリアリティーがないというか、「アンタはもういるからいいよね」という言葉が飛んできそうな気がします。その点では、遙洋子さんが、芸能界で求められるスタンスをキープしたまま、最大限社会的に価値ある発言をした珠玉の一例だと思っています。私はこの方の発言を基本的に評価していませんが、この言葉は実に重要な点を突いた、立派な正論だと思っています。

彼女の個人的感情を丁寧に取り除いていくと、「頑張れ頑張れ。53歳でもできる!」は、どこまでも女性を縛る呪いのように作用することもある。本当に女性のためを思うなら、「なるべく早く対策をして損はないよ」と若い子にはいい、疲れきった女性には「もう、休んでもいいんじゃないかな」とそっとしてあげることがなぜできない、ということだと思います。私もその点では同感です。

子供を作って幸せになろうとすることが、かえって夫婦を不幸せにするならば、そんなことはやめちゃえばいい。

本当にそう思います。
進むのも勇気が要りますが、やめることにも勇気が要る。何事もそうなのですが、特に不妊治療という行為には、心が非常に試されると言いますか、自分ではどうしようもないことを日々受け入れたり、受け入れなかったり、喜んだり落胆したり、人生の縮図と言えば簡単ですが、とにかく「濃い」気がします。

希望を持って生きなければならない。

いつまでも希望を持っていては、生きていけない。

この相反した真理を抱えながら、私たちは生きていかねばならない。

私の大好きな岡村靖幸さんの「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろ」という曲には、

「誰もがもう諦めて苦く微笑むけれど 僕らならできるはず 革命チックなダンキンシュート」

と同じメロディーに乗って

「寂しくて悲しくてつらいことばかりならば 諦めて構わない 大事なことはそんなんじゃない」

という言葉が歌われます。生きていくことの辛さを真っ向から描きながら、それをひっくるめて前を向いていく姿は、「青春」の歌であると同時に「人間讃歌」であると思います。

とはいえ、今日は最後に一言だけ。

 

今日生まれた命に、おめでとうございます。

本当に、本当に、おめでとう。