慈眼寺 副住職ブログ

仮面ライダー

 

快作でありました。

「仮面ライダードライブ」が先週無事終幕を迎え、今週はもう新しいライダー、「仮面ライダーゴースト」が始まっています。
世の中の移り変わりは早いものです。

こんなお寺のブログで言う話でもないのですが、ドライブは非常によい作品でした。
「ライダーなのに、バイクに乗らないなんて」などという無粋な意見もありましたが、もはやバイクに対する憧れなど、子供が持たない時代です。
私は特撮が昔から好きで、仮面ライダーはずっと録画し続けている「卒業できないオジサン」ですが、ライダーに今更「かくあるべき」などというこだわりはとっくに捨てています。作品が面白ければ、それでいいのです。もはや「変身して乗り物に乗ればもうライダー」なのです。車乗ったらアカンのならば、仮面ライダーブラックRXのときに言ってください。

何が良かったか。

①最後まで設定を守り抜いたこと。
「ライダーで刑事モノ」という設定を最後まで破綻なくやり続けました。むしろコレは「刑事モノが変身する」と言っていいほど、ちゃんと刑事モノをやりきれたところがよかったと思います。実際「学園設定はどこに・・・?」などと思ってしまうシリーズも結構ありますので、1つの物語として、おもちゃ売らんかなな姿勢で後半やたら大きな刀を振り回したり、やっつけで全部の戦闘スタイルを出してきたりなど魂のないことを一切せず、逆に「刑事魂」を前面に押し出したのはすごく良かったです。

②演者さんがうまかった
出演者の演技力が、主人公はじめ皆レヴェルが高かったです。主人公、2号、3号まで併存したシリーズでしたが、全員別々の個性で輝きました。ヒロインも基本後半はただただ見守って泣くだけの存在になることも多いのですが、泣いて笑って蹴ってと大活躍。変身しないのに思いっきり目立ってました。脇にもギャグ要員に片岡鶴太郎という豪華さに加え、特撮常連の吉井怜などワキをガッチリ固めていました。そして何より敵三幹部!実に良かったです。このお話は「敵も生きてるんだぜ」という当たり前のことをキッチリ書き切りながら、しかしなあなあにならない素晴らしい演出。とにかくハート、メディック、ブレンの三幹部の演技が光りました。メディックなんて最初はボテっとした子だなとしか思ってなかったのに、退場シーンでは涙を禁じえませんでしたね。ブレンも最初はただのヒステリックキャラだと思ったのですが、彼が消えるシーンは本作のクライマックスでは。ハートは最初から最後までひたすらイケメンでしたね。

③「仮面ライダーであること」を証明した。
冒頭に言ったように、「ライダーじゃない」などと、見もしない人たちにこき下ろされたドライブでしたが、そもそも「仮面ライダーって、何ぞや?」という仮面ライダーのレーゾンデートルを証明した作品だったように思います。
そもそも、初代ライダーの頃、もっと言えば、石ノ森章太郎の原作のころ、仮面ライダーは「ダークヒーロー」でありました。プロトタイプは「スカルマン」だったわけですから。仮面だってみなさん勘違いなさっていますが、仮面が本体ではないのです。実は原作では「変身」はしていません。
原作では生身で普通に強いのです。スーツと仮面は上から着ているのです。何のために?それは、「手術痕を隠すため」です。
本郷猛はショッカーの手術によって改造人間になりました。その際の手術痕が、興奮状態になると体中、特に顔の真ん中に現れてしまいます。その姿を見せたくない本郷猛は、手術痕を隠すために仮面をかぶったのです。実に悲しい理由です。そしてまた戦う相手の「怪人」は、自分と同じ改造人間。いわば兄弟です。ある意味で仮面ライダーは「怪奇モノ」に分類される、悲しいフランケンシュタインの物語でした。

彼が戦う理由も、最初は完全にショッカーへの個人的恨みからスタートします。別に世界平和など願っていません。これはV3やライダーマンなどの初期ライダーにも見られる設定です。私怨から戦ううち、私怨を超えた戦う意味を見出していく。そこには発展するドラマトゥルギーがあります。ここがアメコミヒーローのただただ拡大するストーリーとは違うところです。「成長物語」でもあるのです。

さらに、戦う意味を見出すうちに、「真の敵とは何か?」について思い悩むようになります。原作の仮面ライダーでは、ショッカーの正体は日本政府のはじめたプロジェクトだったというオチがつきます。戦うべき相手は誰なのか?自分の存在だけでなく、戦う相手や戦う意義についても、仮面ライダーは悩みます。

これら全ての要素が、「ドライブ」には形を変えつつも存在しています。
主人公の泊進之介は、かつて同僚を誤って怪我をさせたことで、人生に悩み、立ち止まって無気力になっている刑事。どこかの超能力ドラマとそっくりな設定ですが、彼はかつて殉職した父の謎も抱えています。刑事としてのあるべき姿にもずっと悩みをもっていた。
敵の機械生命体ロイミュードとドライブは同じではありませんが、逆にドライブのベースとなったプロトドライブはロイミュードとして敵の幹部にいます。同じライダーが殺し合うという宿命がここにあります。
謎を改名していくうち、真の敵であり、自分の父を殺した相手は、警察機構の中枢にいることも判明する。さらに、敵であるはずのロイミュードが、誇り高く、人間らしい感情を持っていることを知って悩む。そして全ての悲劇の元凶は、2号ライダーである剛とヒロインの霧子の父親、つまり人間であった。

このように複雑に絡み合った形ながら、「仮面ライダー」のそなえるべき特徴を完全にそなえていたのが「ドライブ」でした。バイクなんてどうでもいいのです。さらに言えば、進之介は最後の最後に「変身しなくてもライダー」という掟破りまでやってのけます。

全てのストーリーが終わった最終話のあと、特別編は、普通次のライダーの顔見世興行ですので、実は全然つまらなくて、中盤の映画用の番宣話並に面白くないのが基本です。

ところが最後の最後に、次のゴーストを完全にそっちのけで、進之介は明らかに変身するだろ?そこ!という場面で、変身しません。

「俺はもうあの時の、1年前の俺とは違う。」

「俺は仮面ライダーになった。ロイミュードたちと戦って分かったんだ、ベルトさん。ロイミュードがいなくなっても世界は平和にはならない。本当に悪いのは人間の悪意だった。だからこいつみたいに酷い奴は絶対に居なくならない。でも、俺は絶望しない。そう決めた、俺は走る。走り続ける。みんなの幸せを守るために、だから俺は、たとえ変身できなくても、ベルトさんが居なくても、俺は刑事で仮面ライダーだ!!」

ベルトがなくても仮面ライダー。そうなのです。仮面ライダーとは、悪を許さぬ者。そして悪は敵の中にも、自分の中にもあります。普通の人なら絶望してしまう状況で、しかし、ただ、戦い続ける。そんな姿を見て、誰かが彼を呼ぶのです。「仮面ライダー」と。

「仮面ライダー」とは、自分で名乗るものではない。他人がライダーと呼んではじめてライダーとなりえます。

ライダーマンもそうです。彼は最後の最後にようやくV3に「ライダー4号」と呼ばれ、ようやくライダーになれます。そしてバイクに乗っていなくても、変身しなくても、ドライブはライダーなのです。

バイクがあるとか無いとか、関係ないのです。ベルトさえあればなんて思うものが、本当のライダーになれるが筈ありません。なぜならば、自分の力を最後まで信じる者にこそ、真の力が宿るからです。
きっと、本物の仮面ライダーは、心に変身ベルトを持っているのだから。

いつも心にライダーを。君も僕も仮面ライダー。

ライダーとは魂の在り方、なのであります。

 

無駄に熱い、副住職の「仮面ライダードライブ」レヴューでした。お粗末。