慈眼寺 副住職ブログ

人を見るな

以前学校で担任をしていたとき、ちょっと生徒を締められないというか、舐められたり嫌われたりしている先生というのがどうしてもでてきました。
子供の見る目がない場合もありますが、まぁちょっと、担任の目から見ても「うーん、この人はちょっと」という、子供の反応も分からないではないな、という先生もたまにいらっしゃることがあります。でも、教員として「あの先生おかしい!」と言われて、「そやな!おかしいな!」と迎合してしまうことだけは許されません。それは「仲間を売る」ことで、絶対にやってはいけないことです。なのでこれは学生時代に塾をやってきたときからそうなのですが、他の先生への愚痴は全て無視して逆に怒ることにしていました。

要は、
文句があるなら本人に言え、俺に言ってどうするんだ。
本人に言えないような意見ならまともな意見とは言えない。
人を見て授業態度を変える奴は最低。

という、ごく当たり前なことを言っていました。

そもそも、先生のことを好きになる必要なんてないわけです。例えばハンサムな先生が好きになり、それでその教科を頑張って成績が上がる、これは結果としてはいいことですが、教員としては最低の状況だと思います。

「あの先生大嫌いだけど、授業は聞いちゃうんだよなぁ~!」

そんな風に言われたいなといつも思います。

先生が嫌いならやるべきことは、その先生のすすめるやり方を完全否定して、先生のやり方以外で、先生を超える能力を身につけて100点をとって、

「あなたのやり方は間違っているので全く使っていないですよ。」

と言って踵を返すことだと思うんですね。カッコイイですよ。こんな生徒。

嫌いやったらそいつに勝って見返せ。嫌いな奴のせいで勉強しなくて大学落ちるとかバカバカしい。
嫌いな奴を上回って大学も合格しなさい。

こう、言い聞かせてきました。他人なんてどうでもいいんです。見なくていい。ことこういうことに関しては、徹底的に利己主義でいいと思うんですね。どんな縁でも活かし方は自分次第ですから。

 

アレ?考え方としては最ッ低ですけど、なんとなく仏教っぽくまとめられたぞ。