慈眼寺 副住職ブログ

善導さんと「正座」

先日落慶法要を無障碍に終えることができましたが、この寺の長い歴史の中心にあって今なお人々を惹きつける存在が、来迎寺の本尊、善導大師坐像です。

善導大師さんって、どんな人?と聞かれますと、一番簡単にいうと、浄土宗の方は仏壇を覗いてください。向かって右にいるのが善導大師さまです。下半身が金色なんです。これは法然上人の夢の中に善導大師が現れた、いわゆる「二祖対面」のようすをあらわしています。そうでない人は、GoogleとかYahoo!で検索してもらっていいですか。すいません。

さて、一般的な善導大師を見てもらったあとで、来迎寺の善導大師坐像に話を戻します。
ちょっと失礼してお姿を写真で公開。副住職の特権ということでひとつご勘弁を。

 

善導

え・・・?なんか・・・随分ようすがちがうと思いません?なんというか・・・こわい!

このちょっと力持ちそうな善導大師、実は歴史的にもロマンの塊でロマンパワーがものすごいのですが、歴史研究者でもない私が色々書いても無知を晒すだけですので、詳しくは小野佳代先生のこの論文をお読みください。

http://www.waseda.jp/wias/achievement/bulletin/data/k_ono_2009.pdf

この善導さんを調べるだけで話は京都や天理や奈良の様々なお寺に広がっていきます。そしてそのストーリーの中心には重源和尚がいます。実に興味深い存在です。少しずつですがここに出てくる寺院をコツコツ回っていますが、その話はまた今度。ここに出てこない、偶然の会話から明らかになった来迎寺と縁のある寺院もあります。今度まとめてお話します。

仏像の歴史的な話はともかく、この善導大師像がまず目を引くのは、なんといってもその左膝。片膝を立てる、ちょっと行儀の悪い姿です。ええっ?ってびっくりされると思います。そもそも善導大師をこのような「くわっ!」と目を見開いた迫力ある顔で表現している礼が相当少ないうえに、この立て膝。今にも立ち上がってきそうな雰囲気があって、先ほども言いましたが、見ようによってはけっこう、こわい。正直、こわい。

しかし、この立て膝、立つ瞬間の様子を表したものではありません。

http://www.kohfukuji.com/property/cultural/107.html

興福寺法相六祖坐像です。バッチリ左膝を立てています。ほかの人も、いわゆる正座をしている人もいれば、あぐらをかいている人もいる。そして左膝立ての人もいる。仏像だって弥勒菩薩の有名な半跏思惟や、如意輪観音の「輪王坐」や東慶寺の水月観音の「遊戯坐」というリラックスしまくりのお姿もあります。(実はこの坐り方の名称の定義は曖昧なのですが)

水月観音

お坊さん=正座というイメージがあり、日本人は古来より正座してきたようなイメージがありますが、実はそんなことは全然ありません。そもそも中国は春秋戦国時代が終わってからはほぼ椅子文化。韓国も女性は立て膝が正式な座り方。日本で「正座」というのがあの足のしびれるしんどい座り方を意味するようになったのは、廃仏毀釈以降であろうというのが大方の定説であります。我々の「日本の伝統」がほぼ明治以降に「作られた」というよくある話がここでも顔を出してくるわけですね。

とはいえ来迎寺の善導さん。法相六祖の二人と同じ座り方なのに、まるで印象が違いますね。なんというか、アクティブ。合唱する手もすごく大きくて、迫力がありすぎます。本当にインパクトが強いです。

お説教の勉強をすればするほど、めちゃくちゃ偉大だったんだなぁと感じていく善導大師。法然さん自ら「偏依善導」=「俺、善導さんのコピペ」(副住職意訳)と言い切ってしまうほどの存在の大きな人。下半身を金色にするくらいでは済まない感じが伝わってきて、身びいきみたいですが、この善導さん、オンリーワンな魅力があります。