慈眼寺 副住職ブログ

アンパンマンのマーチ

 

アンパンマン2

今日テレビである人が「アンパンマンの歌を聴くと泣ける」と言っていました。大いに共感できます。
今日はアンパンマンの話をします。

娘が生まれてから幼児番組を見ることが多くなりました。
特に「アンパンマン」への娘の愛情はちょっと私には理解できないほどで、「アンパンマン!アンパンマン!」とうわごとのように繰り返します。正直、アニメのアンパンマンの作品自体は、個人的にはアニメとして全く評価できない作品です。なんというか、ストーリー性が皆無といいますか、水戸黄門のような人助けが永遠に続いていく感じが、一種の「狂気」に似たものを感じてしまいます。延々増え続けるキャラクターもちょっとしんどいです。ただし、自分が子供のときに読んだ絵本の「アンパンマン」は、とても好きでした。

この画像を見てください。

アンパンマン

今の明るいアンパンマンからは想像もつかないですが、八頭身でちょっと汚い色合いの、マントもボロボロのアンパンマン。どこか悲しげです。
リアリティーがあるからこそ、アンパンマンの顔を食べるシーンは、現在の明るくポップな世界ではなく、「わぁ。なんか痛そう。」という感じがひしひし感じられます。食べる方もかなり抵抗があります。「え?いいの?本当に?」と遠慮する感じ。でも、この暗さがいいんです。めちゃくちゃ印象に残りました。

ゲゲゲの鬼太郎だってそうです。最初は「墓場鬼太郎」です。めちゃくちゃ悪相でした。あの時代の暗い世相がモロにでているけれど、それでもたくましく生きていた人たちの創造性がいかんなく発揮されています。戦争にも、貧しさにも、暴力にも負けない、強い強い希望と作家性。個性なんて育てるもんじゃないんです。踏まれても踏まれてもアスファルトを割って出てくるようなのが個性だと思います。

前述の歌の件ですが、確かに私も泣いてしまった経験があります。子供用とは思えない強烈な歌詞です。

 

「アンパンマンのマーチ」作詞 やなせたかし

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

忘れないで夢を 零さないで涙
だから君は飛ぶんだ何処までも

そうだ!恐れないでみんなの為に
愛と勇気だけが友達さ

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだ微笑んで

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

 

泣けます。ただただ明るいんじゃないんです。傷を負いつつ、それでも前を向く。いつか全て無くなってしまうことを知りながら、それでも笑って前に進んでいく姿。無常観たっぷりの世界観のなかで、まっすぐ前を向くこの姿。ツァラトストラか!と突っ込みたくなる能動的ニヒリズムに涙がとまりません。

アンパンマンの表のテーマは「正義」です。ただし、そこには作者やなせたかしさんの、既存の「正義」に対する強烈なアンチテーゼがあります。戦争体験があり、戦時中はプロパガンダにも加担した経験のあるやなせさんは見栄えのいい「正義」がいかに薄っぺらくて、有害かを知っていました。怪獣を倒すために町を壊して何が正義か。もっと端的な正義がある。世界の敵は「空腹」だ。空腹を倒すのが本当の「正義」だ!お腹いっぱい食べられることは人を幸せにする。誰も傷つけない。普通はしかし、食べることは動物を殺すことでもあります。誰も傷つけずに人をお腹いっぱいにできるのか。

ここにもう一つのアンパンマンの裏テーマが潜在しています。つまりそれは「自己犠牲」です。
アンパンマンはいつもお腹をすかせた人のところに向かい、自らの顔を差し出します。絵本では全部食べられて、首なしアンパンマンが飛んでいくシーンすらあります。アレは衝撃的です。何かを殺して食べさせるのではない。自分自身を食べさせる。普通の人間には決してできない、究極の自己犠牲だけが、究極の正義を実現します。やなせさん自身が「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」という言葉を残しています。

耳障りのいい正義にも頼らず、安易な仲間との連帯でごまかさず、自分だけの戦いのなかで、自分だけの価値を探して、ただ一人傷つきながら飛んでいく自己犠牲の男。私はこんなカッコイイ男、見たことがありません。

大東亜共栄圏などという妄想にみんなで酔って、たくさんの国民を飢えさせ、町を焼け野原にした戦争に対する抜がたい不信感と、燃え盛るような怒りをそこに感じます。水木しげるさんもこの点では同じです。徹底的に個人主義。集団の正義を一切信じない。こんなことを書くと右傾化した世の中で色々暮らしにくいですし、逆に左の人にシンパシーとか感じられても迷惑なのでハッキリ言っておきますが、イデオロギーというものは、徹頭徹尾有害だと思います。左右関係ないです。そんなものに身を委ねた途端、右だろうが左だろうが、何も見えなくなって人を殺します。右も左も大嫌いです。

やなせさんの世界はいたってシンプル。食べたい。食べさせたい。みんなに食べて欲しい。自己犠牲はありますが、それは他者に強制したりするものではない。思いやりといたわり、マイトリーとカルナー、慈と悲。与楽と抜苦だけがそこにあります。

しかし人がシンプルであること、あり続けることは、とても難しい。志は簡単に折れてしまい、状況に流され、理想からどんどん流されます。人は弱いものです。

でも、だからこそ、ヒーローが必要なのです。

力も要らない。武器も要らない。旗も要らない。

ただただ純粋で、シンプルであること。その、一番むつかしいことだけをやり抜く人こそヒーローこそが、我々に必要なのです。

 

そんな、悲痛な願い、というより、叫び、のようなものを、「アンパンマンのマーチ」には感じます。
「マーチ」なのです。行進です。人生という長くてつらいだけの、そしていつか唐突にやってくる終わりがいつかもわからない、つらい道のりを歩むための、行進曲。それがアンパンマンのマーチなのです。

娘は「アンパンマンのマーチ」と「手のひらを太陽に」が大好きです。

奇しくも「手のひらを太陽に」もやなせたかしさん作曲です。貧困に苦しんだとき、かじかむ手を太陽にかざしたときにこの歌詞を作ったとか。この歌もシンプルな歌詞の中に、生きることの素晴らしさと苦しさ、その両方に対する讃歌が全力で歌われています。両方同じ人が作詞したというのがよくわかる曲です。

今日は、アンパンマンについて語ってみたら、思いのほか長くなってしまいました。お粗末。