慈眼寺 副住職ブログ

但馬 仏像の旅②

本日もたくさんの厄除けのご参詣を頂きました。中には、わざわざ岐阜から団体様でお参り下さった方もおられました。ありがたいことです。

さて、昨日の「但馬 仏像の旅」の2回目です。
初日に温泉寺を拝観し、香住に宿泊して朝からは一気に南下し、但馬と言いつつ丹波市にある「丹波の正倉院」の異名をもつ、謎だらけのミステリアスなお寺に向かいました。その名も「達身寺」。

達身寺1

変わった名前です。
このあたりには最近やたらと有名になった「日本のマチュピチュ」(笑)竹田城がありますが、華麗にスルー。流行りものは敢えてスルー。
「日本のマチュピチュ」をスルーして「丹波の正倉院」へ向かう、正倉院まですぐのところに住んでいる私です。

正直、「丹波の正倉院」というネーミングは微妙ですが、ここは確かにスゴイ。何がスゴイかといえば、
国重要文化財(12躯)、兵庫県指定文化財(34躯)、 丹波市指定文化財(33躯)という「おびただしい」という表現すら使ってしまいたくなる仏像の数。たとえば羅漢や地蔵でたくさんあるならわからなくもない。ですがここは、主役級がなぜかズラリ勢揃い。阿弥陀如来や薬師如来や兜跋毘沙門天がズラズラズラと軍団を組んでます。「丹波の正倉院」というより、「丹波のアベンジャーズ」や!あ、ぜったいこっちの方がそそる!

お寺自体はそれほど大きいわけではありません。のどかな山のお寺という感じ。

達身寺4 達身寺3

茅葺きの屋根が素敵です。ひょっこり老僧が出てきそうでしょ?出迎えてくださったのはご婦人でしたが。
お庭というより、山と一体化した裏庭が実に野趣あふれ、生命力を感じさせます。

このお寺、間違いなく歴史は古いのですが、なぜこんなにたくさんの仏像があるのかまったく分かっていないそうです。
古文書などは全て残っておらず、本堂は1695年に再建されたもの。実は初めて本堂を見たときには、建立年などは全く知らずに行ったのですが、「あ、コレは江戸時代の本堂だな」と直感しました。何がどうという説明はできないのですが、「江戸時代感」はあります。
先ほど言ったように、とんでもない数の木彫仏があり、しかも本尊になってもおかしくない主役級の仏像が複数あります。それだけでなく、同じ仏様の仏像が複数あるケースも珍しくない。つまり阿弥陀如来が何体もあったりするわけです。特に兜跋毘沙門天という特殊な仏様が16体!コレはアベンジャーズにアイアンマンが16人出てくるような異常事態。しかも作りかけの仏像などもたくさんあります。

詳しくは、達身寺さまのHPでご覧ください。http://www.tashinji.jp/midokoro.htm

このご本尊級三体の写真は、実物の大きさが伝わりにくいです。かなり、かなり大きい印象です。座っおたままで2mはあるんじゃないかなぁ。仏像を見慣れた私にも相当大きく感じました。(げんちゃんに撮影してもらったらもっと伝わるのになと思いました。)他にも相当に傷んだものも含め、一木作りのものがほとんどですが、それ単体でご本尊になるような仏像が所狭しと並んでいます。凄いです。

なぜこのように多くの仏様がこのお寺にあるのか、これは全て謎だそうで、明智光秀の丹波攻めの際に、付近で焼き討ちに遭ったお寺の仏像をすべてここに避難させた説や、ここが仏師の里で、各地から修理を依頼されて多くの仏像が集まるところだった「工房」説など色々と説が提唱されています。

さらに!もう一つ興味深い点は、この仏様の中心にご本尊として置かれている阿弥陀如来が「ひょっとすると快慶作か!?」というお話。説明してくださった方によると、東大寺の古文書に快慶が自らのことを「丹波仏師快慶」と名乗っていることから、快慶はこの地方出身なのではないか?とのこと。それで、この本尊もひょっとすると?というわけです。現実には体内文書等、確定できる要素はないそうなのであくまで歴史ロマンの域を出ない話ではありますが、確かにご本尊の印象は、若干小野市の浄土寺の阿弥陀如来に似ているなとは思いました。もちろん確定することはできないでしょうが、そういうロマンを語りたくなる仏様ではありました。

しかし私が一番気に入った仏様は別にありました。この三尊から右に動いて一番端にひっそりと座ってらっしゃる阿弥陀如来。コレが実にいい顔。理知的で、静粛を保ちつつ、ほのかに柔和。実に美しい表情でした。彩色がされていないゆえに余計美しさに緊張感がありました。実にいいですねぇ。

美しい庭に、美しい古仏が多く残る謎の寺。いやぁいいものを見られました。こんなお寺があったとは。もう一度このあたりを自転車でじっくりまわりたいなと思ったお寺でした。