慈眼寺 副住職ブログ

今、日本に足りないのは「うしおととら」

http://gigazine.net/news/20150204-ushitora-tv-animation/

「うしおととら」がアニメ化されるそうです。(以前もあったっちゃーありましたが)

「今更感」はありますが、「いまこそ感」もあります。

妖怪ウォッチで妖怪づいた世の中ですから、「うしおととら」の連載時を知らない世代にも受け入れられる素地はあります。ジョジョのアニメ化もそうですが、団塊ジュニアの世代が作り手にまわってきたのがよくわかる現象です。僕らは散々好きな漫画の原作を大人の事情でぶっ潰された劣化アニメで育ったので、「漫画のまんまが読みたいッ!」という気持ちが強いのです。

 「うしおととら」を読んでない、という畜生道まっしぐらのみなさまのために説明しますと、「うしおととら」は少年サンデーで連載されていた少年マンガで、太古の昔から受け継がれた妖怪を倒すための武器「獣の槍」を伝承した少年が、槍に封印されていた「とら」という妖怪とともに、日本列島を壊滅に追い込む「白面の者」という大妖と、人間、妖怪を巻き込んで挑むお話です。

こう書くと、「なんだよ。ジャリ向けのマンガかよ。」と思ったでしょう?その通りです。作者、藤田和日郎は日本に現存する数少ない「少年漫画家」です。少年誌で漫画を描いている人を少年漫画家というのではなく、「少年のために漫画を描いている漫画家」を私は尊敬の念を込めて「少年漫画家」と呼んでいます。頭の中がゴム化したような頭で薄っぺらい友情努力勝利でお涙頂戴して金を稼いだり、ほっそい線でグロいつもりの落書きを書いて「個性」だなんぞとふんぞり返ってるような有象無象には決して描けない、「少年による少年のための少年漫画」がここにあります。

 決してお世辞にも画力が高いとは言えませんし、デッサン力も不足してますし、何描いてるかよくわからないときもありますが、とにかくぶっとい線で、思いの丈を思い切りぶつけてくる無闇に熱い漫画です。オシャレでもかっこよくもないですが、一生懸命に「正しい」と思える方向に、傷つきながら進む人間の姿が見られます。

 人間が「正しい」と思えることを行うときに、成功率がどうの、勝算がどうの、理屈がどうの、そんなことを考える必要はない、という「義」の心がひたすら槍に乗って突き進んでいく姿が、流れ星のように暗闇を裂いて飛んでいきます。絶望に沈む多くの人間が、その星の姿に力をもらい、立ち上がっていきます。そうした全ての人間の悲しみや、願いや、優しさなどの思いをすべて背負い込んで、うしおととらがまっしぐらに突き進んでいくお話です。

主人公うしおの行動原理はつまるところたった一つ。

「俺が泣けば誰かの涙を泣いてあげられるなら、俺は何度でも泣く。」

というものです。これは単なる自己犠牲とは少し違います。バカだからなぜ行動するのか分からない。勝てるかどうかもわからない。どうすれば一番いいのか分からない。ただ、誰かが泣いているのはイヤだ。どうしてもイヤだ。バカだからこれが正しいかどうかはわからないが、泣いてる誰かのかわりに俺が傷つく。

これは、「成長」の物語なのです。藤田和日郎の作品のテーマはいつも「成長」です。大人じゃないから一番いい方法とかはわからない。ただ、目の前の涙は見たくない。そのためには、自分が強くなるしかない。他人の涙を泣いてあげられるほどに、強くなるしかない。これは、一人の少年が、出会った人々の涙を見るたびに、強くなることを誓っていくビルドゥングスロマンなのです。いつかは誰一人涙を流さない世界を作る、そのために戦うことが、彼と、泣いていた誰かを結びつけ、小さな小さな思いを集めて巨大な力へと成長していく。最終巻で彼はついに「俺たちは、太陽と一緒に戦っている」と高らかに宣言します。成長の物語の頂点の感動は、長い長い苦難の道のりを読み進めた者にしか味わえません。

一つ一つの伏線や登場人物を、きれいにまとめあげて、最終的に「誰一人無駄なキャラクターがいない」という美しい大団円を作り上げる才能は、藤田和日郎の独特のものです。失礼ながら決して頭がいいとも、緻密だとも思えない作者ですが、ひとえに思いの強さがそれを生むのか、非常に苦心した綱渡りの結果、この作品も、「からくりサーカス」も涙なしには読めない美しいラストを迎えます。たしかに細かく読めばアラはいっぱいあるのですが、勢いで読ませる。勢いで一気読みすると全く気にならない。数十巻に及ぶ長い作品でもそれをさせるスピード感こそが、彼の作品の命なのかもしれません。

今回のアニメがどのような出来になるかはわかりませんが、今、日本に一番足りないのは「正義」だ!といつも常々思っていたので、この作品が子供たちに「それ」を感じさせるきっかけになればいいと思います。

相対化、客観視、大いに結構。でもそれは、ど真ん中に太い幹があってこそのものだと思います。木を育てずに、他人の木を切り倒すことが「アート」だと思っている今の栄養不足の漫画に、どかんとぶっとい幹をぶちこんで見上げさせてもらいたいものです。

正直、アニメの話がきっかけでしたが、アニメなんて見なくていいです。私が今日言いたかったのは、「うしとら」を読んでない君は、無間地獄のなかにいるYO!ということです。

はしゃぎすぎました。すいませんでした。