慈眼寺 副住職ブログ

最高の授業

 

「今まで授業を受けた中で、一番面白かった先生は誰か?」

 と問われれば、頭に思い描く二人の先生がいます。一人は高校時代の現代国語の先生、イザイク先生です。あ、ちゃんとした人の名前です。信じられないかもしれませんが日本人の名前です(笑)

 彼の授業を受けたのは確か高2か高3のとき。高3だったかな?ものすごくエキセントリックな外見の先生が、エキセントリックな声とだらしない声を交互に使い分けながら、なんかよくわからないことをまくしたてたと思ったら、教科書を読め!と言う。生徒が読む。「質問はあるか!?」と素っ頓狂な声で聞く。シーンとする。「ないのか?質問?お前ら!賢いな!じゃあ、続き!」とまたエキセントリック。生徒、読む。「質問はあるか?」シーン。「じゃあ!続き!」以下同じことが数回続くと、

「終わったじゃないか!楽だな!じゃあ、次のとこいくぞ!」

えっ・・・・(´Д`)

翌日も同じことが続き、確か3回目くらいで教科書が終わりそうになりました。

 「本当におまえら、手がかからんな!最高だな!」

 えっ・・・(゜д゜)コイツ、マジで・・・・?

 不安になった僕たちは先生に頼み込んで終わったところを戻ってもらい、質問をするようになりました。質問しないと、何も説明してくれません。めちゃくちゃしょうもない漢字の読みの質問から、解釈の仕方まで。ただし問題なんて全然解きません。なかには国語力の高い奴らもいますので、解釈の仕方で議論になり、「お前の読みは間違ってる!」などと毎日戦い合い、ついていけない奴はおいてけぼりでした。当時、仲のいい友人から「国語の神」と呼ばれていた僕にとっては、ライバルと顔を真っ赤にして議論するめちゃくちゃ楽しい時間でした。イザイクさんは、僕らを野放しにして、好き放題やらせてくれて、でも質問したらめちゃくちゃ的確な答えが返ってきました。「アイツこそ神だぜ・・・」といつも舌をまいていました。

 マイケル・サンデルの対話で白熱する授業がNHKで話題になった時も、正直「なんだよ。イザイクさんのパクりじゃねぇかよ」と思いました。まぁ実際には、「ハーバード白熱教室」のほうがもちろんサンデルがとんでもなく切れ者ですし、なにより生徒の頭の良さが半端ないです。

 もう一人、記憶に残るのは、永井均さんです。彼の授業も対話を重視するのですが、意味合いはまったく違う、と感じる瞬間がありました。当時千葉大学教授だった永井さんは、私の大学に集中講義できてくれました。哲学界の超有名人ですから、僕らは興奮しましたし、外部から何の関係もない「永井ファン」も勝手に授業に参加していました。「永井ファン」のなかには、当時の私から見て、「いやー、好きなのはいいけど、そもそも本の内容理解してないんじゃない?」という人も何人かいて、授業中に全く見当はずれな質問をしては授業を中断させるので、イライラしていました。でも、永井先生がすごいのはここからです。

 たぶん、客観的に見て、永井ファンの質問はまず見当はずれで、おかしなことを言っていたと思います。普通なら、どう対処するでしょうか。

①「そういう考え方もあるんですね」などとうまくいなす。

②「それは関係ないと思うよ」と冷たくあしらう。

 このどちらかだと思います。ですが、永井さんの場合はそのどちらでもありませんでした。

 彼は「へー、そういう考え方あるんだ。じゃあ、そっちで考えてみるか・・・」とおもむろに考え始め、その素っ頓狂な質問を彼なりにものすごくビルドアップして勝手に面白い議論に変化させ、自問自答しはじめたのです。もはや、質問した当の永井ファンの質問は、彼女の発したものとは完全に変質したものになっており、彼女自身も理解できないものになっているんですが、永井さんはお構いなしに盛り上がっていました。つまり、対話なんてしてないんです。他人はきっかけに過ぎない。自分の中で、自分の哲学をすることにしか興味がない。物腰は柔らかで、生徒に「下らない質問をするな!」などとは決して言いませんが、この、何がきっかけでも考えられたらそれでいいという貪欲で自己完結した独我論的永井ワールドの業の深さに、感嘆と同時に恐ろしさを感じたのを覚えています。ま、集中講義受けただけなので、私の勘違いかもしれませんけど。

ちなみに、イザイクさんとはつい最近、めちゃくちゃ意外なところで再会しましたが、僕のことはまったくおぼえていませんでした(笑)