慈眼寺 副住職ブログ

Ist alles besser?

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2001年、私は塾の講師のアルバイトで貯めたお金でドイツの古都、ドレスデンに3ヶ月だけ語学留学していました。短い期間ですがあのとき得た経験が自分の価値観を大きく変えたような気もしています。

ドレスデン校を選んだ理由は単に東ドイツが生徒に不人気で授業料が安かったからですが、いまでも、たった3ヶ月住んだだけの街を、まるで自分の母校のある街のように懐かしく思い出します。初めての海外旅行が再統一されて10年後の東ドイツ居住というある意味無謀なチャレンジでしたが、古都ドレスデンは私にとってかなり居心地のよい街でした。初めて降り立った冷え切った3月のドレスデン空港から、Goethe-Institutまでのタクシーでは、英語のわからないタクシー運転手に日本人だと言うと、「元同盟国だな」みたいな感じで握手されたのを覚えています。その翌朝、泊まったホテルでは35マルクの料金に3.5マルクを支払ってしまい、怒られるのですが。

 あの美しいエルベ川のほとりで友人たちとビールを飲み、あの夢のように美しいSemper OperでシュトラウスのDie schweigsame Frauを観劇し、毎晩のように路面電車でKathorische Hofkircheを眺め、アウグスト強王の鼓動を感じた気になっていました(実際には美女にしか反応しないらしい。)。生まれて初めて感じる圧倒的な「自分はここでは異邦人である」という「被異物感」ともいうべき感覚に腹が立ったり、逆にあらゆる縛りから逃れられたような居心地の良さを感じたりしていました。死ぬまでに、もう一度だけドレスデンに、できたらクリスマスの時期に「帰りたい」、そんな思いをずっと持っています。

そんなドレスデンが久しぶりにニュースになりました。おそらく近年では大洪水以来のことではないでしょうか。しかしそのニュースはあまりいいニュースではありませんでした。 

http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/06/german-protest-anti-islam-marche_n_6426740.html

 ドイツは元来トルコ系移民が非常に多い国です。私がいた頃、東ドイツですらケバブー屋台が当たり前のようにいたるところにありました。若い人にはわからないですが、トルコ代表のイケメンサッカー選手、イルハンもドイツ生まれのトルコ系移民の子孫です。当然イスラームの数も多いのでしょう。思えば統一後10年を過ぎた東では、西側から流入してくる先進技術者にありとあらゆる点で劣る現地の人の多くが失業の不安を抱えていました。私のドイツ語の先生ももちろん西側の人間。まわりは英語も話せない人々なのに、語学学校の中では西側の人間が外国人にドイツ語を教えているというベルリンの壁のような不思議な現象が起こっていました。逆に、トラムの中で私たちが会話していて、めんどくさい構文の会話をなんとか苦心しながら、最後の分離動詞の前つづりを忘れずに言い終えると、トラム内のおじいさんおばあさんから拍手をもらうという微笑ましい経験もありました。聖母教会は、ドレスデン大空襲で粉々にされたのち、50年以上も復活できず、「世界最大のジグゾーパズル」と呼ばれて再建の真っ最中。数年後の「聖母教会完全復活」の報に胸が熱くなったのを覚えています。

 そしてその復活した聖母教会を埋め尽くす人、人、人。オペラ劇場を警官が囲み、あのカトリック教会の前でもデモ。ドイツといえば切り離すことのできないユダヤ人との歴史がありますが、今や問題はイスラームになっているのです。東西の統合という難題と、さらにもっと大きなEUの統合という問題を乗り越えている最中のドレスデンで、いまイスラームとの関係という十字軍以来の問題が再び頭をもたげているというグロテスクさに、お腹が重くなるような気分がします。

東ドイツでの古い流行歌に“Ohne Dich”という歌があります。英語で言うとwithout youですね。

語学学校の先生が好きな歌で、恋人と別れた男性が「君がいなくなって、すべてずっとよくなる」と強がって自分に言い聞かせるという歌で、まぁ東ドイツ版「もう恋なんてしない」とでも言えばいいでしょうか。

 日本でももっと軽薄な、皮膚感覚だけでモノを考えたような排外主義や民族主義が起こりつつありますが、ヨーロッパの場合はもっと切実に、根の深い民族と宗教の断絶が横たわっています。「国家」や「民族」という本来は存在しないはずの「境」を作り出し、そこから遡って過去を切り分けていくという行為の虚しさを、しかしほんのわずかな間しか生きられない我々の狭い視野では、なかなか見渡すことはできません。

こんなとき、なんでもかんでも悪いことを外国人や他宗教の、「壁の向こうの人々」のせいにして自分たちのことを顧みない「善良な国民」になるのでもなく、「我々は日本人ではなく、地球人だ」などと寝ぼけた20年前の教師みたいな絵空事で誤魔化す「進歩的な知識人」になるのでもなく、ただただ目の前にいる人間と「友達」になることはできないかなぁ、なんて、子供のようなことしか言えなくなってしまいます。

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 「お前がいなければ」と、「お前」をどこかにやっても、排除するべき「お前」はいくらでもでてきます。ありとあらゆるいじめや迫害の構造は最初から完成することのない自己破壊の論理に基づいています。

”Sachsen bleibt Deutsch<ザクセンはドイツのままでいる>”と叫ぶなら、ドイツがかつてどのようなことをしたか、ザクセンでも思い出して欲しいものです。

Möchten Sie noch einmal sagen?: ,,Alles ist besser ohne dich!,,