慈眼寺 副住職ブログ

からっぽの世界

初午も終わって一段落。よーし、もうボチボチ好き勝手書くぞ~。

https://dot.asahi.com/aera/2018020800007.html?page=1

正直、正直申しまして、この小島某さんは結構苦手と言いますか、普段から血を流しながら刃物を振り回しているような痛々しい印象の人。なのでテレビで拝見するのも、文章を読まされるのもできれば避けたい方なのですが、そうしたノイズや偏見や嗜好を除いても、「あ、的確。」と納得です。見直しました。(何を偉そうに。)

大学とかの文化祭なんか行きますと、パフォーマー過多と言いますか、お客さんより「見てもらいたい人」が圧倒的に多い。そのお客さんの半分くらいは、「自分を見てほしいから、代わりに見てあげてる」という半パフォーマー、半観客。

学園祭に行かずとも、世の中はアイドルだらけ。コスプレイヤーや地下アイドルとやらも含め、「芸」というクオリティーに達していない「芸能人」が大挙して舞台にあがって押し合いへし合いしているよう。

アイドルなんか目指していなくても、youtube、インスタグラムにフェイスブックとツイッターにLINEと、ありとあらゆる手段を使って、見栄えのいい自分を世界に向けてひたすら宣伝し続ける異常な自己顕示欲の世界。

全国民がありとあらゆるツールを使って「見て!見て!見て!」と叫び、そのすべてに、見返りを期待する「いいね!」を連呼する自己顕示欲の連鎖。

「舞台の上は人がいっぱいなのに、客席はガラガラ」

というのは、まさしく言い得て妙。普段からモヤモヤしていたことを小島某さんが実に的確に表現してくれていて、これ以上言うべきことは何もない。

かく言う私も、ただのお坊さん風情が、こうして副住職ブログなんぞという「誰が興味あんねん!」な一般人の私生活をダラダラと長文で。

何も得ていないのにただひたすらアウトプットするためだけに一瞬インプットするような。情報が素通りする空しい世界。そこにアクセス数や「いいね!」だけが、仮想のやりがいとなって刻印されていきます。

切り取られ再構成され、増幅されていく虚構の世界ではなく、今生きて汗をかいている世界に没入して、感覚をフル動員してインプットしていかないと、結局我々自身は影のような存在になっていってしまうような気がします。

最近奥さんと目を合わすことも減った気がします。
スマホなんかすぐに捨てた方が、いいのかもしれません。

強制的にスマホやPCから完全に自由になれる自転車のサドルの上とバドミントンのコートの中でだけ、自分は人間に戻れているのかもしれません。