慈眼寺 副住職ブログ

超基本!仏像の見方<後編>

エディンバラ大学を卒業した超優秀な友人に、「仏像特集、よかったで!」と言われました。うれしいです。けっこう力を抜いて書いたのですが、そっちのほうがいいのかもしれません。正直言いますと、日本史の資料集にも載ってるような基本的知識に私の趣味をかぶせただけなんですけど、いまさらみないですもんね。資料集とか教科書。でも資料集っていいですよね。大好きです。昔、授業中に前を見ないで資料集ばかり見ている中学生の生徒がいたので怒って取り上げ、高校の資料集を渡して「今日からコレばっかり見ること!」と言ったことがあります。私の話を聞くより、そっちのほうが勉強になりますからね。

では続き行ってみます。

「菩薩」

ボーディ・サットヴァ。菩提を求めて生きる者。如来になる前の段階の修行者を意味します。じゃあ、そんな仮免みたいな教育実習生みたいな人、拝む必要ないじゃないか!とお思いかもしれませんが、そこが違うのです。ここは重要です。菩薩は「その気になればいつでも仏になれるけど、敢えて悟りきらない人」です。いつでも悟れるのに、悟りを開けないダメなみんなのために敢えて!敢えて!煩悩うずまく我々の中に飛び込んで教えを説き、見本を見せて、ダメな子たちが全員「あっち」に渡ったのを確かめてから、ようやく「あっち」へ行く、というとんでもない思いやりと憐れみをもった人たちなのです。船長さんになってほしい人第1位です。 

服装は修行中の釈迦をイメージした王族の服装をしています。ですから王冠をかぶっているわけです。当然如来よりゴージャスな感じになります。いろいろなモノを持っていたり、手が多かったり、顔が多かったりしますが、それら全てに意味合いがあります。菩薩は上で示した性格から分かるように、身近な存在ですから、観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩などが有名でしょうか?文殊菩薩といえば「三人よれば文殊の知恵」の人です。少しだけマニアックなものとしては法蔵菩薩がいます。これは阿弥陀如来になる前の、修行中の状態です。観音菩薩に関してはバリエーションがめちゃくちゃ多いので、別の日に詳しくやりますが、そのうちの一つ馬頭観音に関しては、限りなく明王に近い形態で表現されます。それでは次の「明王・天」行ってみましょう。

 「明王・天」

明王はヴィドヤラージャ、天はダイバ、大まかに言って知恵や超能力がある人、という意味です。

明王の服装は菩薩より簡素ですが、顔が怖い。とにかく怖い。怒りまくっています。基本的に手が4本とか6本あり、体色が赤かったり青かったりしておそろしいです。さらに剣を持っていたり、孔雀に乗っていたりします。とにかく日本文化では考えられない異質な感じがします。それもそのはず、明王はもともとは古代インド神話に登場する仏教以外の神々を仏教に取り入れる形で生まれました。これは天も基本的に同様でヒンドゥー教などの神々を仏教の信仰に取り入れる過程で生まれました。いわば、元・悪役。「強敵」と書いて「とも」と読む感じです。彼らは基本的には仏教では否定されるような「喜怒哀楽」、ときには愛欲まで含んだ感情をダイナミックに表しています。如来たちが捨て去ったような人間のそうした感情すらつかいますが、それはあくまで最終的に皆を悟りへ導くための方便(「ウソも方便」という言葉もありますが、要は「手段」ということです)として使っています。明王と天ではどちらかというと明王が上、天がその下という感じもしますが、メジャーさでいえば天が上回る場合もあります。

明王で言えば不動明王がエースでしょう。髪型がとにかく多彩で、辮髪という中国のモンゴル系の髪型をしているものもあります。髪型のバリエーションがすごく多いです。メラメラした炎をバックに(「光背」といいますが)剣を持って睨む姿は一度見たら忘れられません。ものすごく漫画チックな造形美といいますか、漫画がパクりやすいカッコよさといいますか、男の子の心を熱くさせるロボ的なかっこよさがたまらない仏像です

不動明王

写真は醍醐寺の不動明王。個人的には不動明王の中で一番好きかもしれません。誰が作ったのかといえばあの!快慶です。運慶快慶の快慶。あの東大寺の金剛力士像のあの快慶。実はコワモテの仏像より阿弥陀如来のほうが自分では作るのが好きみたいですが、動きのある仏像を作らせたらやっぱりこの人の右に出る人はいません。

他にもパンクロックの人みたいな髪型が全部逆立った愛染明王や、顔は怖くないけど孔雀に乗ってるというインパクトがすごい孔雀明王なども有名です。孔雀明王は、孔雀がコブラなどの毒蛇を食べることから魔を滅ぼすという性格を得たそうですが、ちょっと日本では共感を得にくいいわれですね。先ほど述べた馬頭観音は観音ですが見た目は完全に明王。

馬頭観音

そんなバカな!?というほどの怖さです。

優しい人を怒らせたらこうなるのです。ですので、馬頭観音は馬頭明王と呼ばれることも多いです。

最後に天です。多くは鎧を着ています。やはりもとはヒンドゥーなどの神を仏教に取り込んだものですが、仏教の守護者としての役割を担う「元・悪役」なのは明王以上です。仏様にやられたときのエピソードまで用意してあることが多いです。メジャーどころでは寅さんが毎回口上を垂れる帝釈天、七福神の大黒様(大黒天)や弁財天が有名でしょう。現世利益を前面に押し出し、かなり身近な存在になります。現場感が強い。天という名前がつきませんが有名な十二神将なんかもここに入ります。あと一人、18歳以下はNGのものすごい天もいますが、今回はそっとしておきましょう。ここで、もう一つ。

「天」がついていないけれど「天」を語る上でいまや絶対に外せない人を忘れてはいけません。

そうです。いまや如来や菩薩、明王を押しのけて、全国的に異常な人気を博している大エース・・・

阿修羅です

阿修羅 興福寺

大人気ですよね。羽生結弦くんみたいな扱いになっています。もと魔神で帝釈天とものすごく仲が悪くてず~~~~っと喧嘩していました。闘争本能の塊でしたが、のちに八部衆という仏教の守護者になりました。八部衆のほかのメンバーはかなり寂しい思いをしているのでは、と心配してしまうほどメジャーです。しかし、ここまで阿修羅が有名になったのはひとえに興福寺の阿修羅像の力でしょう。しかしあれをもって阿修羅の代表作例とするには大きな違和感があります。本来の阿修羅はこういうものなんです。

阿修羅

 これが三十三間堂の阿修羅です。阿修羅のプロフィールにぴったり合致しますよね。天というよりも、明王に近い。しかしそんな作例をすべて吹っ飛ばすほどのインパクトを現代人に与えてしまうのが興福寺の阿修羅です。あの、少年にも、少女にも見える憂いを含んだ表情。ほっそりした体つき。阿修羅をなぜあのように表現したのか、人の想像をかきたてるという点が、現代アートに通じるのでしょうか?東京での異常な人気も含めて、非常に興味深い現象だと思います。

作者は仏師将軍万福。

知らないでしょ?そうなんです。あれだけのインパクトを呼んだ、仏像の歴史を変えたような仏師があまりにもマイナーなのです。もっと知られてもいいと思います。万福は百済からの渡来人です。今でいう韓国の人ですね。もう完全に彼の作風がああいう中性的なほっそりしたもののようで、

万福

これも彼の作品です。

ひと目で「あ、アイツのだな」とわかりますよね。

次から次へと恋をするけれど、それが全部同じタイプという人がときどきいますが、仏像制作になぞらえるのは失礼を承知で、そういう旦那さんとよく似た感じで万福さんの美意識がほんとうに揺るぎないんだと思いますね。ものすごいオリジナリティーです。

作者は万福さんではないですが弥勒菩薩半跏思惟像なんかにやはり顕著なことは、やっぱり日本人と違う感覚で作られたものっていうのはやはり「いわゆる仏像らしくない」感じで、琴線に触れたり、印象にすごく残りますね。

 明王・天がものすごく長くなってしまいました。

総論

先生に喩えると、如来は研究者として科学の進歩に邁進する大学の先生、山中教授みたいな人です。世界をそもそも作り変えるような大きなスケールをもちますが、服装にはこだわりません。ノーネクタイで白衣です。研究一筋。外車にも乗りません。

菩薩はすごく優秀なのに、困難校で頑張る優しい先生。落ちこぼれを決して見捨てません。一応ネクタイとか、模範になるために服装はキチッとしてます。

明王・天は完全にめちゃくちゃ怖い体育の先生。竹刀とか持ってて服装はジャージ。でもこういう先生がいるから菩薩先生みたいな理想主義者がやっていけます。大人になって一緒に飲んだら一番楽しいのはパンチパーマの明王先生です。

こんな感じで仏さんで楽しくやらせてもらいました。今日はこのくらいで。