慈眼寺 副住職ブログ

キラキラ

ちょっと友人と話していたんですが、こんな記事がありました。

林修先生、キラキラネームと学力の低さは「相関性がある」

東大合格者名簿にキラキラネームがいない(少ない)、ということで、「相関性がある」との結論ですが、コレって、「もはや東大は高所得の親を持つ子の通う大学」という話の言い換えに過ぎないじゃないかと思います。キラキラネームをつけた途端、子供が東大に入れなくなるのではなく、「キラキラネームをつけるような親のいる環境は、高学歴の子供を育てにくい」ということを、とくにデータも示さずに言っただけなのかなぁと。林先生って、プレゼン上手なんで、耳目を集めるやり方はお上手だと思いますが、いかにもありそうな、一般論の範囲をでない話なのかなと。まぁそのへんをしっかり自覚的に行っているのが、林先生がテレビに出続けられる所以だと思います。

しかし、そもそも「キラキラネーム」って何なんだよ。何をもってキラキラなんだよという問題もあります。上の記事では「読める」「読めない」をキラキラの基準にしていますが、それこそ「読む側の教養」の問題はどうなるんだよって話にもなってきますよね。

ただし、さすがに「唯一神」と書いて「ゆいか」とか、「凛空」と書いて「りすか」とか、「愛百足」で「あどり」とか、このへんは、単に読める、読めないを超えた「破壊力」とでもいうべきものが、確かにあります。(http://ailovei.com/?p=29872より)

しかし、「愛百足」に関しては、「愛していると百回言っても足りない」という意味らしいので、そのへん聞くと「おおお!」という気合みたいなものは感じます。気合というよりは小宇宙!コスモ!「愛百足」いい名前かも!ただし、「愛していると百回言っても足りない」の「足りない」の部分は省略し過ぎて消えてるので、「愛していると百回言ったら足りる」とか「愛人は百人でも足りない」でも何でもええやないかというツッコミは当然できます。

某芸能人が崇徳(むねのり)くんという名前を付けたことがありますが、崇徳上皇なんていう結構な荒ぶる神様になっちゃったやんごとなさ過ぎる名前を付けるあたり、「知らないって怖いね」という気はします。

こうして見てみますと、キラキラネームって、「親がとにかく全力で子供を愛し、ものすごい勢いでヘルメットがクルクル回ってしまうような豪快な空振りをして、放り投げたバットが、将来弾道ミサイルになって子供に墜ちてくるような名前」ということが言えるのではないでしょうか。

ただし、そんなことを言い出せば、「英雄」と書いて「ひでお」とか、「えいゆう」ですからね。コレ、なかなか気宇壮大な名前ですよ。「ナポレオン」ってつけるようなものでしょ。「ヨシフ」ってつけてる共産系の人も多いですが、これもキラキラじゃないですか?そう考えたら、「弥有二」で「ミュウツー」とか「空海」で「ブルー」とかと同列に考えていいと思うんですよね。

要は、インテリだと自任してる人々がセレクトする珍名はOKで、そういう文脈から外れる、ゲームとかからつけたり、日本三大怨霊と同じ字を付けたりしたら「キラキラだ」という、ただの差別なんですよね。東大入らなきゃ人生失敗みたいな論調もおかしいでしょう。東大出て不倫で職失いかけている政治家とかより、イオンのフードコートでたくさんのキラキラネームの子供にご飯食べさせている夫婦の方が、僕ァ立派だと思いますけどね。

かく言う私も相当珍名の類なんですよ。同じ読みの人はちょっと最近増えてきたけど、この字の組合わせは、存命では相当少ないかと思います。で、私の名前と妻の名前から一字ずつ取ってつけた娘の名前も、漢和辞典でちゃんと調べた読み方を当てているとはいえ、初見ではまず読めない名前です。実際生徒に「キラキラ?」とか屈辱的なこと言われましたし(笑)

難読だとか、キラキラだとかいうのは相対的なものだと思うんです。子供に「ピカチュー」とか「リヴァイ」とかつけてる中に「五百子」とか混じってたら、絶対「何だよそれキラキラじゃん!」って笑われると思うんですよね。昔はそこそこあった名前なのに、いまじゃ、なんかドラクエの呪文ですか?みたいな受け取り方されますよね。

で、「光宙」でピカチューとか付ける親は、別に東大行かせたいとか思ってないし、逆に「東大行かせたいから地味なのにしよう」って「太郎」ってつけたら、そんな当てにいったバントで指挟んで入院みたいな名前の付け方されたくないですよね。そして、その子が東大に行く確率もピカチューとそんなに変わらないと思います。

だから好きな名前つけたらええやんと思うんですよ。平凡な姓名で東大行かれたのは立派だと思いますけど。ほっとけよって思いますね。

難読だから一発で覚えてもらえるってのもありますし、平凡だからよかったって思う場合もありますし、何でもない普通の名前が、結婚して姓が変わって、急に芸能人と同じになってしまって恥ずかしいとか、そういうのは本当に先が読めないですよね。

ただまぁ、名前というのは、一生お付き合いすることがほとんどの、息の長いパートナーになりますし、おじいちゃん、おばあちゃんになってからどうよっていうのは、やっぱりありますよね。豪快に振るのはいいんですけど。そこだけね。

でもやっぱり、そういう利便性とか無視して、たとえば巨人のガリクソンが、桑田のこと尊敬し過ぎて息子の名前を「クワタ」にしたとか、やっぱり話聞けば「おおお!」っていうね。そういうドラマね。そういうのまで含めて説明すると、やっぱり気軽にキラキラとか言うたらあきません。そう思いますね。ピカチュー死ぬほど好きで、ポケモンで人生救われたとかね。もしくは、「光宙」はポケモンじゃなく、機動戦士ガンダム第41話「光る宇宙」から取ったんだ!とかね。そらあの回は名前に使いたくなりますよね。ニュータイプの存在意義みたいなことに関わる回ですから。そういう深い意味あるなら、そらもうピカチュー万々歳よってなりますよね。

うん、やっぱりキラキラええですよ。川本真琴の「ピカピカ」も名曲ですし、安達哲の「キラキラ!」も名作ですしね。

キラキラ万歳!

輝いて、何が悪い!