慈眼寺 副住職ブログ

”選ばれない”人生

「テニスに飽きた」と言ったことで物議をかもした選手が、さらなるぶっちゃけ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170724-00000021-jij_afp-spo

これは相当面白いですね。個人的に。

テニスなんかやるな。好きなこと、やってて楽しいことをやれ。テニスは大変だ。つらいつらい人生だ。自分は抜け出せないから仕方なくやってるだけ。テニスの方が僕を選んだ。夢中になったことなんて一度もない。まあ、気に入ってはいるよ。

なかなかこんなこと言えないですよ。「テニスの方が僕を選んだ」って、カッコイイですね。言いたいわぁ!

まぁメンタルとしては「俺はまだ本気出してない」系のニート気質の言葉とも受け取れますが、実際世界のトップレヴェルでやっててお金儲けしてる人ですからね。トップ10以上の人が苦笑いするのはいいですけど、僕らはコレ、なんとも複雑な気持ちで見てしまいます。だって選ばれてないからね!(笑)

今日、小学校からの友人がフェイスブックで、生まれてはじめて包丁使った!って書いてたんです。まぁ、プロピアニストですから。子供のころから学校の先生より上手かったし。だから「お坊ちゃんだな!」とは全然思わない。逆に「大変だな」と。リンゴの皮も剝きたいのに剥けない生活って。自転車も誘ったことあるんですけど、「手をケガするかもしれないから・・・」って言われて、ハッとしました。

何かに「選ばれた人間」というのは、います。特に何も選ばれてない私のような凡人はうらやむばかり。ですが、「選ばれたこと」が、逆に「ふつうのこと」をできなくすることもある。何か一つを選んだことで、失うこともある。

「才能」は英語でtalentですが、単純に「Gift」ということもある。天からの贈り物なんですね。まぁ、与えられた範囲内で、やりたいようにやったらいいと思うんです。自分にとっては平凡なことでも、それをうらやむ人もいるわけですから。贈り物なんて、本質的にはこっちの気持ちを考えずに勝手に送ってくるもんですからね。美味しい桃ばっかりならいいですけど。

ちなみにドイツ語ではGiftには「毒」という意味があります。毒もまた贈り物。

何が薬で何が毒で、何で人が幸せになるかなんて、分からないもんです。

まぁテニスの人は、「テニスをうまくやる」才能はあったけど、「テニスをずっと楽しくやる」才能はなかったってことなんでしょうか。僕はあんまりうまくやる才能はないんですけど、楽しくやる才能はわりと豊富な気もするんで、特に表彰されないけどニコニコ、ダラダラ、やるしかないなぁ。参ったなぁ。

でも、よく考えたら、「選ばれない」人生って、「選びたい放題」なのかも!ポ~ジティブゥ~!