慈眼寺 副住職ブログ

バウムクーヘンのど真ん中

昨日、ついについにアレが到着しました。

そう!あの!童仙房でパンクした僕を車で送ってくださった縁で知り合ったデルベアさんにオーダーした無添加の天然素材のバウムクーヘンが、やってきました!

すごーーーーい!みっしりーーーー!

前少し切れ端の部分を頂いたことがあるのですが、改めてきちんと断面を見ると、なんなのこの密度!

軽くトーストしてから食べると、バターの風味が出てくる、とのことですので、温めます。
本当はもうちょっと薄く切るべきだったのですが、娘がとりあえず食べたいというのでザックリ行きました。

パパもまだなのに娘がひとくち!

「おいしい!」

そりゃあそうですよ。アンタこんなちっこい頃からええもん食べなすって。
まぁでも、小さいからこそこういうホンモノを食べておいてもらいたいもの。

ようやく私も食べます。おいしい。実にクセがない。甘さに嫌味がない。いくらでも食べられます。本当に飽きない。焼き目の部分が特に好き。今日の朝ごはんに食べたのですが、これ、夕方とかより朝の方が向いてるかも!何というか、甘さに嫌味がないので、コメのように食べられます。温めると確かに複雑な香りがあとから立ち上ります。ああこれは確かにすごい。

私は天然由来以外ダメ!とかそういう無添加至上主義ではなく、ものすごい色の着色料のガンガンに入ったジュースや、食べると舌が黒くなるドラキュラアイスなどを食べて育った世代です。今思えばよくあんなもん食べてたなというような祭りの夜店の食べ物や、駄菓子屋の正体不明のカツなど食べてました。特にアレルギーとかなければ、何でも食べてみればいいのです。

人間も食べ物も、きれいごとだけでは生きていけない。食うに困ったら、腐りかけでも添加物でも遺伝子組み換え作物でも、食べるしかないのです。天然素材がどうかを気にし過ぎて、ノイローゼになって死んでしまうような人間にはなりたくない。

ですが、色々なものがあっても、それが区別できない人間ではいたくない。

これは、いいもの。これはとりあえずOKなもの。これはギリギリセーフなもの。

そういう区別ができるためには、ホンモノを知らなければならない。

そうか。これがバウムクーヘンなのか。

これが”ふつう”なのか。

こういうことを言うと、「なんだ普通って!」と怒られるかもしれません。

しかし、「ほんとうは、これがふつうなんだよ」という仕事をやり続ける人が、ホンモノなのだと思います。そういうバウムクーヘンのど真ん中直球をバスン!と投げ込まれたような、そんな今日の朝でした。ごちそうさまでした。はやくお代を振り込まないと。恩人に食い逃げとか凶悪です。

しかしいいパンクをしたものです。いひひ。