慈眼寺 副住職ブログ

七五三

本日は、3歳の娘の七五三のお祝いに、春日大社にお参りしてまいりました。

「お坊さんが神社行っていいの?」

とか、よく驚かれるんですが、

ええに決まってるやん。

なんですか?お坊さんはなんか穢れ的な存在なのかと(苦笑)
昔は神仏習合で一緒くたでしたから今よりもっと節操なかったわけですし。

そもそも、慈眼寺と春日大社には切っても切れないご縁がございます。

慈眼寺のご本尊、厄除け聖観世音菩薩さまは、聖武天皇ご勅願の観音堂が起源であります。
奈良時代、疫病が流行し、心を痛められた聖武天皇が、春日大社にお参りし、疫病平癒をお願いしたところ、夢に聖観音が現れ、この姿の仏像を刻んで奈良のこの地に観音堂を立てよとおっしゃった。するとたちまち疫病がおさまったそうです。その場所に建てられた観音堂が慈眼寺のはじまりであります。

ですので、春日さんの氏子ではないのですが、何かというと春日大社にお参りしている私。センター試験の前日もしっかりここにお参りして、お賽銭を5円投げたところ、途中でひっかかって奥に入らず。するとセンター試験初日の英語で大コケして大失敗。しかし第2志望の大学には、センター試験の得点では40%の合格率でしたが、しっかりひっかかりまして、「おお!春日大社さすが!」と思ったものです。(ちなみにその第1志望の大学には、博士課程の試験でしっかり合格してリベンジを果たします。)

さて、慈眼寺と春日大社のご縁のお話はここまでにしまして、お参りの話。

正倉院展がとんでもない混雑なうえに、修学旅行シーズンで道もすごい混雑。
高畑方面から大回りをして春日さんにつきますと、ものすごい数の外国人の観光客のみなさん。すごいですね。

本日は住職である父と、私と妻と娘の4人総出。住職以外は着物で頑張ってみました。

娘のは貸衣装ですが、私たち夫婦は自前の着物。

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私の着物は慈眼寺の先代住職である祖父の着物を直したもの。

祖父は明治生まれの着道楽で、洋服は一切着ないで一生を終えました。パンツすら履かず、ふんどし人生をまっとう。

イメージより祖父の身長が低くて祖父の着物で再利用できるものは少なかったのですが、この大島は生地がいいので、亡くなった母が着物屋さんに頼んで直してくれていました。それでもちょっとだけ短いのですが、まぁそこは仕方ない。でもやはり目利きの祖父が選んだ生地ですので、間違いがない。羽織も足袋も全部揃いでスキがなく、こう言っちゃアレなんですが、そんじょそこらの写真館の貸衣装なんざ、着られません。あ、そうそう、下駄だって桐下駄で実に軽い。こんなの自分ではとても高くて揃えられません。
自転車仲間の着物屋さんに聞いたところ、「いまこれを誂えると中級グレードのフルカーボン完成車が買える」とのこと。なんでも自転車で換算。

娘のほうはといいますと、外国人観光客のみなさんがよちよち着物で歩く着物姿の娘に、たいそう喜んでくださって、ちょっと歩くと写真イイデスカ?。またこいつがいちいちバッチリポーズをとるのでよちよち歩いては撮影。また歩いては撮影。本殿では完全に捕まって地下アイドルの撮影会くらいの規模に広がってしまいました。
まぁ、祖母に「いちま(市松)ちゃん♪」とあだ名をつけられた和風顔の娘が世界遺産の神社で着物着てるわけですから、外国人観光客の皆様にはザ・日本をしっかり堪能していただけて、よかったです。現代日本でモテるかどうかは別として。

そういうわけでわりと日本らしいことをしっかりしまして、娘の健やかな成長を感謝し、祈願できまして、満足でありました。

あ、受付で名前とか書いてフリガナをふるところ、適当にささっと書いたら巫女さんにフリガナにフリガナを打たれてしまい、めちゃくちゃ恥ずかしかったです。外国人扱いされてしまった副住職でありました。国際的ィ!