慈眼寺 副住職ブログ

街の魅力

「街」について漠然とした考えをまとめようとしていたときに、偶然うれしいお便りを頂きました。

このブログを読んでくださった島根県の方から「面白かった」というメッセージを頂き、私の気軽な旅行記なんかを読んでくださっている方がいて、わざわざメッセージまで書いて頂けるというのは、こういうことをしていて一番うれしい瞬間であります。ありがとうございます。

その方からのご指摘で、「山陰のモンサンミッシェルは別にある」とのこと(笑)

これです。

http://www.kankou-shimane.com/ja/spot/detail/7218

実は、私これでも無駄に慎重なタイプで、「山陰のモンサンミッシェル」と名付ける前に、先行する事例はないか、グーグル検索してここの存在は知っていたんです。で、実際写真を見る限り、稲佐浜の方がゴツゴツしてて緑もないし、これこそモンサンミッシェルやー!くらいの勢いで書いてしまったんですが、今回詳しく見ると、満潮干潮で道ができたりして、おおこれ完全にモンサンミッシェルやん!とご指摘通りだと痛感した次第。元祖モンサンミッシェルは観光地化し過ぎてノイシュヴァンシュタイン並に行ってみてガッカリな場所になっていますが、こちらのモンサンミッシェルもいつか訪れて、「むしろフランスがパクった」説を唱えていこうかと思います。

先ほど、今回の旅で「街」について考えていたと書きました。今回旅した「山陰」、とりわけ「島根県」は、失礼ながら「過疎」という言葉の代名詞と言っても過言ではない地方です。昨今「美し過ぎる」とか「過ぎる」が流行りですが、「いなさ過ぎる」「存在が過剰に不足」というのはなかなか哲学的な言葉ですね。実は私の同僚に島根出身の方がおられまして、中学の社会の模擬テストの試験監督をしていただいたとき、一人の生徒が「島根県」という答えを書いていたのを見つけられました。「わ。島根が問題に出るんだ」と思い、どんな問題なのか見てみられると、そこには「過疎の県はどこか」みたいな問題があって、苦笑したというエピソードがあります。

そもそも、「過疎」という言葉の元祖は、「山陰のモンサンミッシェル」がある島根県益田市にある旧美濃郡匹見町であります。この町の大谷武嘉町長が国会で地方の惨状を訴えたことがはじまりとされます。

何もない何もないと言われている島根県、実際どうだったか。

これが想像以上に豊かな暮らしをしているように見えました。

まず、ハッキリと感じたのが、

道路の車が遅い!

驚異的に遅いのです。鳥取県とも違います。島根県に入って目に見えて遅くなります。一人二人ではなく、誰もがゆっくりなのです。もちろん一車線の道路を今回多く利用したという事情もあるのですが、運転される方の年齢に関係なく、みなさん非常にゆっくりと進まれます。これは言いたくないですが、「山陽」の「陽」の部分を独り占めしている感じの岡山がトラック野郎に「マナー悪い」と有名なのと好対照です。

岡山を悪く言うまでもなく、我々関西人は四六時中イライラして常に前を追い抜こう、追い抜こうとしています。後ろから速い車がくれば道の隅に寄ります。危ないから。大阪の瓜破あたりで車線変更するためには、窓から手を出してものすごい強引に入りながら、笑顔で「ごめんな!」と入る面の皮の厚さが必要です。それがスキンシップなのです。それができないと一生長居公園にたどり着けないのです。

「何もない」と書きましたが、温泉津にはイオンはないけど昔がらの食料品店やお醤油屋さんなどがちゃんと残っていて、おばちゃんたちが笑いながら歩いていました。石見では保存地区のおばあさんが娘にふうせんかずらをくれました。人もそんなに少ないとは感じません。若い人もおられました。

別に「昔ながら」がいいと言っているのでもないのです。

米子では若い経営者が街づくりに参加し、三瓶ではオシャレなショップもありました。

スタバがなかった(今はある)ことがコンプレックスだった鳥取県ですが、スタバのコーヒー、そんなにおいしいですか。コンビニとそんなに値段分違いますか。スタバでノートPC開いたら仕事はかどりますか。スタバで勉強したら東大行けますか。キャラメルアキアート、甘すぎないですか。「グランデ」って「大」じゃダメですか。(個人的にはスターバックスのバイトさんってクオリティ高くて気持ちいい人が多くて僕はそこは大好きなんですけど。)

スタバがなくても近所の難しい顔したおっさんのこだわりのコーヒー、アリなんじゃないですかね。スタバのせいで潰れたそういうお店、いっぱいあるんじゃないですかね。別にスタバが悪いんじゃないですけど。

芸術と工芸の違いは、鑑賞者に修練が必要かどうかの差だ、という文章を読んだことがあるのですが、「誰にでも入れるお店」って実は存外つまらない。難しい顔をしたおっさんを、うまくおだてて、奥にある「とっておき」を出してもらう、そんな付き合い方ってのは、今は流行らないですけど、一番醍醐味のある冴えたやり方な気がしますね。なんというか、「コネ」を自分で作る楽しみ、と言いますか。

前にも書きましたが、どこにでもある国道沿いのお店。回転ずし、ファミレス、コンビニ、カフェ、牛丼屋。どこにでもあるものがズラッと並ぶ街には何の魅力も感じません。誰が店員をしていても同じですから。ただ、「どこにでもある」ものの安心感というものの捨てがたさというのは、切実な場合もあり、たとえば何十キロも夜中に自転車で移動した先に見つけたローソンの青い明かり、なんてのはもはや「文明」そのものの象徴のような「救い」がありますね。

とはいえ、「旅行者はそこにしかないものを求め、生活者はどこにでもあるものを求める」というのは、よく考えれば当たり前のことではあるのですが、「街の魅力」というものは、案外そこに住む人には分かりにくい。

私も若い頃は奈良がもう嫌いで嫌いで。

とにかくここから出たい一心で大阪の高校へ行きましたが、そこはもっと殺風景な刑務所のようなところでした。いや、奈良の少年刑務所の方が歴史があるカッコイイ建物で、ホテルになる計画もあるくらいです。

40を目前にしたとき、漠然と思ったことは、「この先は、地元のために何かしよう」ということでした。

別に何かの委員になろうとか、そういうことではないのです。むしろそういうことは大嫌いなのです。ただ、若い頃に自分が背を向けてきたものの中に、素晴らしいものもいっぱいあったのに、自分はそれを見ないでさっさと逃げ出してしまった。自分は奈良に育てられたのに、奈良に何の恩返しもしていない。奈良のどこにも居場所がない。

そう思って、教員の職場を奈良に変え、毎日奈良を自分の足で自転車をこいで、通勤しています。お寺はもとより奈良の方のお参りが圧倒的に多いですが、まだまだ知らないことばかりです。いつもお参りしているおうちの隣のことは、何も知りません。

子供ができて、ママチャリで二人でいける範囲で遊ぶようになると、また発見があります。こんなところに公園があったのか。俺の遊んだあそこはもうこうなってしまったのか。奈良のいいところ、悪いところがたくさん見えてきます。

奈良にあるのは全部観光客をもてなす場所。奈良の住民の労働と消費はすべて大阪と京都で賄っているんです。奈良市には映画館もないわけです。高の原イオンは京都府、郡山イオンは郡山市ですから!

「暮らす文化」が不在。

自分たちの街づくりのビジョンがない。見えにくい。なまじ観光客がくるだけに悲壮感が足りない。まぁつまりは「大仏商売」ということになるのですが、いつまでたっても埃のかぶった鹿の風船人形を軒先にぶら下げて、色あせても同じ値段で売り続けているあの感覚。二度と会わない観光客になるべく楽してお金を落と してもらおうというあの感覚。京都の「根こそぎもろていきまひょ」という気概までは感じられないゆるい感覚。

まぁ、そこは奈良のいいところでもあるんですが、どこまでもいっても大仏商売。突き詰めて言えば、地主さんが自分の土地の値段を維持することだけを考えている土地柄なので、せっかく便利になるはずの、せっかく街がよくなるはずの試みが、なかなか立ち上がらない。一度とことん困った方がいいのではないかと思うほどです。

島根や米子に行って思うのは、本当にここが不便だということ。高速道路は出雲で一端途切れています。どこへ行くにも何時間もかかる。米子から豊岡とか、すぐ近くに見えて、奈良まで帰るくらいの時間がかかる。ですが、不便だからこそ、自分たちの街を面白くしよう、という生活者の活力は、奈良よりよっぽど強く感じました。

「車ですぐ大阪やし」

と行って、奈良を見ようともしない。

不妊治療でほうぼうの病院をまわりました。大阪や京都の有名な病院。いい病院もありましたが、名前ばかり有名でシステムもお医者さんも最低な病院もありました。逆に奈良にもいい病院はありました。ことこの問題に関しては、結局結果論ですべてが決まってしまう世界です。本当に何がよくて子供が授かり、何がダメで授からないのか、実はお医者さん自身も分かっていないのというのが正直なところです。ですが、「プロセスの誠実さ」だけは素人でもわかる。「プロセスの誠実さ」とは畢竟「科学的であること」とも言えます。けっこういるんですよね。非科学的なお医者さん。正直、こんなことお坊さんに言われたらおしまいですよ。

とにかく、自分でも勝手に、「奈良にあるもの」=「価値が低いもの」と決めつけていました。それが一番、奈良の、私のダメなところだと思います。救急医療がダメならそれを改善すればいい。改善するような議員を選べばいいだけです。ゴミ処理場も火葬場も、どこかに作らなければならない。おしつけあっていても何も解決しません。「どこがいいか」ではなく、「どうすればできるか」を考えなければならない。つまるところ、大阪で働いて大阪で遊んで、奈良で寝てるだけの現状の結果が今の奈良です。

なんであれ、何かを「利用」する対象とだけみなすかかわり方のさきに、幸せはありません。

別に島国根性を持てというわけではないですが、「たのしいこと」を生駒山の向こうに探すのは、そろそろやめよう、そう思って日々暮らしています。

行政上の「境」にとらわれる必要はないのです。「島根が故郷」の奈良人だっていいわけです。私にとって、最近京田辺市なんてほぼ故郷。心の地図では奈良市の隣が京田辺です。

自分が大好きな街に、時間の長短は別として、「暮らし」、何かをもらおうとするだけではなく、そこで自分から何かを為そうとすること。

今回の山陰旅は、そのことの大事さを改めて考えるきっかけになりました。