慈眼寺 副住職ブログ

住職って大変。

実はちょっと用事があり、住職が三日ほど家を空けておりまして、私副住職が、まさしく住職代行としてこの数日間お寺に住み込んで住職の仕事をしていました。

普段は住職に任せていることを全部自分でやっていると、別に忙しい時期でもないのに、「住職、しんどい!」と思います。
何がしんどいって、そもそも住職っていうのは「住むのが職業」なわけです。ずっとお寺にいなければならない。
まず朝は5寺くらいに起き、色んなところに水やらなんやらをお供えし、朝の勤行をします。
それからまずお寺の門を開けます。早朝にお参りして手を合わせていく一般の信者さんなどがおられますから、開けていないと、申し訳ありません。

真っ暗ですが、ジョギングしている人や、出社している人、もう働いているトラックなんかもあります。
そこでちょっと御飯なんか食べたりしてると、明るくなってきます。掃除をします。
お寺の前が落ち葉だらけだと恥ずかしいですから。そしてお寺には木がたくさん植わってますので。

それから着物に着替えて、お参りに出発です。何軒かのお宅にお邪魔して、月命日のお経をあげます。
ウチのような小さいお寺ですと、だいたいは昼までに仕事が終わります。大きなお寺からすれば、なんと楽なのか、という小寺です。
朝から晩まで働いてらっしゃるサラリーマンさんからすれば舐めてるのか、という仕事です。私もかつては毎日日付が変わるまで働いていた時期もありますので、少しはサラリーマンさんの気持ちも分かります。

ですが、昼からも掃除や法要の準備、電話、突然の厄除け希望のご訪問などに備えて、常にお寺のなかで、用事をしながら待ちます。
この待つというのが、つらい。

何かやることがあって、それさえやれば仕事が終わりというものではありません。
9時から5時まで仕事して、そのあとは自由だ!一杯やろう!という切り替えができません。
家=職場です。

普段は住職と交代したり、というより住職に任せて自分は学校に行ったり、クラブで指導したり、気ままに自転車乗ったりしてるのですが、一人だとそうも行きません。普段、いかに住職に甘えてるのかよくわかります。

仕事を部分的にこなすのは仕事のうちに入らないんだなと痛感します。全部自分が責任を持つと、急にあそこもここも気になり始めます。あそこのゴミも拾っておかないと、明日は雨になるとか、あそこの戸締りちゃんとしたのかとか、キリがありません。特に最近は何かと物騒だったり、変な「電話代安くなりますよ」とかいう電話もありますし、気が抜けません。

住むのが仕事、住むのが修行。

住職、想像以上にハードだな、と気が重くなる副住職でした。

今のうちに自転車乗らなきゃ(ちゃっかり)