慈眼寺 副住職ブログ

水木先生フォーエヴァー!

水木しげる先生が亡くなられました。

あれほどまでに清濁併せ持ち、大らかだけれど、陰惨で、のほほんとしていて、剛毅で、謎めいているけど合理的な人はいなかったのではないでしょうか。本当に不思議な人でした。あんな不思議な人が本当にいたのかしらと思うほどに、月並みな言葉ですが、先生自身が妖怪でありました。

私たちの世代で鬼太郎を見たことがない人なんて、いないと思います。
アニメだって、新しいバージョンは明るくて、吉幾三が歌ってて、可愛い女の子もでてきますが、旧作の60年代のものは暗くて不気味。70年代のカラー版もやはり不気味な部分が残りました。それ以降の「明るい鬼太郎」にはどうしても馴染めなかったのを思い出します。
70年代の「火車」の話と「原始さん」の話はよく覚えています。火車と牛鬼はかなり怖がっていた妖怪の一つです。
妖怪図鑑的なものは、みんな僕の世代はみんな持っていたのではないでしょうか。ご存知のように慈眼寺には樹齢400年の柿の木がありますけれど、図鑑の中に「タンコロリン」という柿の実が採られずにいるとどんどん大きくなって家に落ちてくる妖怪の話があり、子供心にビビりまくっていました。あと、アカマターという「コレ、妖怪なの?」という怪しいのもいたなぁ。泥田坊はメジャー妖怪ですが怖かったですね。田んぼの横を夜に通るときは足首掴まれそうで・・・。

当たり前のように日本文化の一ジャンルになった「妖怪」という存在は、実は水木先生がいなければ、今のような形ではおそらく存在していなかったかと思われます。アリストレスやプラトンの思想が、イスラームによってヨーロッパにもたらされてはじめて「復活」を遂げたように、戦争中の戦意高揚一色の日本で徹底的に破壊された漫画文化を、タイムマシンに乗ってやってきたように手塚治虫が復活させ、発展させたように、石燕らの文化が「啓蒙」の名のもとに一掃された日本に「妖怪」を復活させ、そして新たに創り出したのは、他でもない水木先生です。単なるキャラクター作家を超えた、民俗学的功績は計り知れません。教科書に載ってもいいくらいですけど、水木先生は死んでも載せたくないと思うので、いいです。

とにかく悪魔くんでも鬼太郎でも、影があったり、ふてくされたり、ノーテンキだったり、その場しのぎだったりする人や妖怪が、淡々と出てきて、淡々と動く。子供向けと言われますが、子供の頃、「鬼太郎買って」と言って買ってもらった漫画がとんでもないアダルトな内容で「うわ!コレどうしよう!!!」と焦りまくったことがあります。ちょっとお坊さんブログではとても書けないので、興味のある方は、「ゲゲゲの鬼太郎 青春時代」で検索してお読みになったらいかかでしょうか。

とにかくなんと言いますか、伏線とか、勧善懲悪とか、つじつまとか、ストーリーとか、そんなものは小さなことなんだなと思わせる大らかな水木しげる世界観。

とにかくクヨクヨしない。
かといって前向きでもない。
意識、高くない系。

そこがいいんですよ。

立身出世とか滅私奉公とか八紘一宇とかノーベル賞とかそういうの、どうでもいい感じ。腹いっぱい食えたらいいのよ的な。戦争中の悲惨な体験や理不尽な上官の「ビビビビビビビビ」とやられるピンタを乗り越えて、運と呑気と体力で乗り切って、ときどき「フハーッ!」って鼻息荒くして頑張ったけど、結局ダメでメガネがズレて「フハッ!」ってなっちゃうあの感じ。

無常観と言いますか、諦念と言いますか、無為自然と言いますか、貧乏暇なしと言いますか、果報は寝て待てと言いますか、もう最後はどうでもよくなってしまうあの感じ。全部やった上での無策。でも絶対に誰にも屈しないあの感じ。あの人生に、死に、開き直って寝っ転がってる感じは、唯一無二の作風だったと思います。

この世の悲惨をすべて見た上で、黙ってそこで寝っ転がって笑ってしまうような、不思議な存在感。

安易に宗教や哲学やらイデオロギーやらで水木先生をカテゴライズしたくないんですよね。水木先生は何にでもなれるし、何でもない、と言いますか。

だから手塚治虫先生が死んだときのような喪失感はないんです。
先生は地獄でも天国でも楽しくやれると思うので。

っていうか死んでないし。

呼んだらたぶん出てくるし。