慈眼寺 副住職ブログ

中世復興

本日、ローカルですが奈良テレビの夕方の放送で、兼務先、都祁来迎寺の墓所の様子が映りました。
見ていた方もおられるでしょうか。

夕方の情報番組なのに東山内衆をメインテーマにした特集をガッツリやってて、おお、骨太やがな!と思ってました。

宇陀の染田天神講の連歌会に関する資料が今年重文指定を受けたそうです。
(詳しくはhttp://www.asahi.com/articles/ASH3F05RBH3DPOMB00Q.html)この連歌に集った東山内衆は、もとは興福寺系列の大乗院門跡の荘官として荘園管理を行っていましたが、やがて武士化して独自の勢力を築きます。連歌の会は、東山内衆の結束をはかるための重要な会議という側面もありました。彼らは南北朝の動乱に乗じて力を付け、興福寺の属する北朝を離れ、北畠氏の南朝方について戦いました。そしてその多田氏の菩提寺として多田氏の代々の当主の墓が並ぶのが来迎寺であるというわけです。

私は都祁で生まれたわけでもなく、歴史を研究したこともないので、詳しいことは全然知らなかったのですが、こちらのお寺にご縁を持って以来、目に見るもの、聞くもの全てが違った風景に見えるような不思議な感覚に襲われています。

大乗院とは、まさにいまは「奈良ホテル」と呼ばれる建物で、私が結婚式を挙げた場所です。来迎寺のお墓には北さんという方のお墓がありますが、これは北畠氏の陣において武勲を遂げたために「北」の一字を頂いたものであると伝えられます。歴史の教科書で知るだけの「北畠親房」が急にカタチをもって現れた気分がして、先日の伊勢ライド(http://www.nara-jigenji.com/diary/3489/)も、実は伊勢国司北畠親房の、公家とは思えないダイナミックな移動を少しでも体感したくて、伊勢本街道を伊勢まで行ってみたという裏の目的がありました。

最近、歴史研究でも中世の見直しというものが盛んです。世界史でも、哲学でもそうですが、近代があまりにスポットライトを浴び、中世のダイナミズムが今まであまりに軽視されてきた印象があります。暗黒時代や変化のない時代ではなく、近代に存在するものの多くは、中世にその原型を持つものばかりです。近代に突然変異が起こったような感覚は、あくまで現代から過去を見たときの遠近法によって起こる影のような錯覚だと思います。中世はもっと面白い。南北朝も、ペストも異端審問も、クザーヌスも全部面白いし、新しい。近代を学べば学ぶほど、中世について知りたくなります。

最近は歴史好きの男の子というものも随分減りましたが、昔ながらの自称「歴史好き」という人も多くは、ただの戦国武将マニアだったり、幕末マニアばかりで、ちょっと栄養バランスが悪い気がします。今こそ中世ですよ!中世!

後醍醐天皇がメインのアニメとか、できないかな?無理か!深夜になっちゃうな!