慈眼寺 副住職ブログ

基礎が大事と言いますが

今日は練習でバドミントンの基礎の基礎、ハイクリアーというただただ高く遠く飛ばすショットの練習をひたすらしました。

けっこううまい子なんですけど、クリアがどうしても弱くて、なんでだろう、なんでだろう?これかな?これかな?って、色々試して、色々な制約を与えて打ってたんですけど、気がついたら2時間クリアーばっかり打ってて。普段やらない打ち方を敢えてやってたら、変な場所の指の皮が擦れて、晩御飯スプーンで食べざるをえなくなりました(笑)

2時間クリアー打ち続けたおっさんも大変ですが、それに振り回された女の子はもっと大変でしょうね。肩肘の痛みのチェックだけはこまめにしていますが。

しかしクリアーって、最初に習うショットなのに、本当に奥が深いです。上手い人はクリアーだけで相手の大勢を崩してしまいます。クリアー売ってると、スマッシュの方がよほど楽だと思います。まさに全身全霊をかけたショットだと思います。山口茜さんなんかはもう体中ひねりきってとんでもない回転で打ってますもんねぇ。左足の裏が完全に見えてて、すごいと思います。もちろん毎回あんなスイングしている余裕はないんですが、ここ一番の、体中の関節を全部高速回転させたショットは、見ていて惚れ惚れします。一般的に女子の上手い選手は、男性の筋力で押し切るショットとは違って、本当に教科書通りの美しいスイングをするので、見ていて参考になりますね。

基礎が大事やぞ!と言うのは簡単ですけど、「基礎」という言葉は、それぞれのレベルでどんどん求められる完成度が高まっていきますし、とりあえず飛んでればいい、を基礎と言う場合も、スイングは綺麗だけど飛んでない場合も、全てのショットが同じ軌道で打たれるのも「基礎」と呼ばれたりして、「基礎」という言葉を安易に使ったらいけないなと思ったりします。

要はどこまでも自分の技術に対して謙虚で、向上心をもって取り組めば、いつまでたっても「基礎」が大事で、どんな苦しい体勢でもその「基礎」を実現するのが「基礎」であるし、その「基礎」を出せないように苦しませるのが、勝負のあやだったりするわけで、だから、どんな崩しにも負けない「基礎」を作っていかねばならないわけで。

人に教えると、一番勉強になるのは教える側だというのは、本当に思います。これでいいのかな?本当にこれでいいのかな?なんて悩みながら、自分の精一杯を教えているうちに、だんだん自分の出来ることが増えてきた、そんな気がします。そういう意味では、すごくワガママで、自分のことしか考えないような人間だなと呆れてしまいます。とはいえ、「当たり前」の精度を上げ、少しずつでも自分の「基礎」を高める作業はとても楽しいです。

「基礎は大事」

言うだけだと本当に空虚な言葉なので、今求めている「基礎」とはどういうもので、そのために何が必要か。そこまで指摘してこそのコーチなんだと思っています。うまくできないままですが、そこだけは忘れてはいけないなといつも思っています。最悪間違ってても、「あの人間違ってるわ」と、反面のほうの教師になれますし!