慈眼寺 副住職ブログ

夢のあとさき

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151110-00000024-mbsnewsv-l29

ついにあのドリームランド跡の廃墟の土地の買い手が決まったそうです。

私たち、地元の人間としては、子供の頃に遊びに連れて行ってもらったり、「東洋最大」と謳われたプールができたときには、無料で学校ごと招待され、生まれて初めての流れるプールに、まさに夢の国だと感動した思い出の場所です。若草国体、ドリームランドのプール、奈良ビブレと、自分が成長するごとに、奈良が綺麗になって、立派な施設ができて、嬉しかったものです。

あれから30年。きみまろさんじゃないですけど、陸上競技場や中央体育館は老朽化し、プロスポーツのチームを作ろうにも、規模が足りない。だが、改築費用はない。だからプロチームが育たない。ドリームランドは閉鎖し、日本で有名な廃墟になり、買い手も見つからない始末。奈良ビブレは高級マンションになりました。地方が衰退するのは日本が衰退しているからそれは仕方のないことなのですが、とにかく夢を持てない街になりつつある気がします。

ドリームランドと言えば、以前あそこに火葬場を作るという話が持ち上がり、反対されて立ち消えたという話がニュースになりました。

http://www.sankei.com/west/news/150223/wst1502230003-n1.html

奈良市の火葬場の問題は非常に深刻です。これはお坊さんだからものすごくリアルに感じるのですが、この問題に関してこんなに遅れている県庁所在地はちょっと見当たらないくらいです。上に書いてあるように、とにかく設備的に老朽化して、限界が来ています。飯盛霊場などの最新の設備と比べ、時間もかかります、炉の数も少ないので必然的に「待機」させられるようになります。大事な人が亡くなって、ご遺体をすぐに葬れないというのは、ご遺族に非常にご苦労をおかけすることになります。あの場所に建てることの是非は、そこに住む方々のお気持ちや、「市街化調整区域」における規制の関係で、難しい部分もあるのかもしれませんので、私が軽々に語ることは、なかなかできません。しかも所詮は葬式坊主の私が火葬場の必要性を語ることを笑う方もおられるでしょう。

ですが、僧侶としての私を除いた、個人的経験でも、火葬場は必要だと感じたことがあります。

母が亡くなったとき、やはり火葬場は満杯でした。行事との兼ね合いで、どうしても待つことができなかった私たちは、天理の火葬場で母を荼毘に付しました。そのときかかった費用は確か7万円だったでしょうか。ずっと奈良市に住んで暮らしてきて、その最期に自分の街で面倒を見てもらえなかったんだなぁと思うと、悲しくなりました。ですが、天理の火葬場がまた綺麗で、早くて、かえってよかったなと思いました。でも、そんな設備がない県庁所在地って何なんだろうなと思いました。

お坊さんの立場から言えることもあります。私の母のように、天理や大阪の四條畷市にある飯森斎場で火葬されるご遺体が相当数あることを私は日々見てきました。日常茶飯事ですし、移動時間を考えてもそちらのほうが早かったりします。あんな設備が奈良市にあったらな、と思います。実はお隣の木津川市の方も、飯森斎場を利用される方が多いようです。もしドリームランドあたりに火葬場があれば、木津川市の方々も利用できて、その利用料を奈良市の財政に活かすこともできるのに、と思ったりもしました。

もちろん考え方は人それぞれ、さらには色々な事情や規制もあるのでしょう。しかし、火葬場といっても、煙が出たりするのは昔の話、今はホテルのように綺麗な建物です。人は生まれて必ず死ぬもの。その最後のお別れをする場所が「忌むべきもの」という扱いを受けるのは、私がお坊さんだからか、あまり共感できません。もしかして、お葬式にかかわる私たち自体も、そんなふうに見られているのかもしれませんが。

ですが、それは必ず必要なものではあるのです。それは間違いない。

沖縄の基地とある意味で同じだと思います。

必要。でも自分の近くには欲しくない。
(まぁ、基地は要らないという考え方もありますが、米軍がいないければ、自衛隊が代わりをするだけですし、事情は変わりませんね。)

誰かがやらなければならない。でも自分はやりたくない。

そこから、

俺がやらねば誰がやる。

は、限りなく近いのに、誰もが滅多に踏み出さない一歩ではあります。

奈良市はずっとその一歩を踏み出さず、少しずつ、少しずつ衰退してきました。
救急車搬送の妊婦さんがたらい回しに遭った事件もありました。当然事情はあったでしょう。

しかし、いざ、というとき、人間の生き、死にという、一番大事な瞬間に、事情がどうこう言ってられないはずです。そういうときこそ力が問われます。その一番大事な瞬間に、現実にこの自治体は機能不全を起こしています。田舎でも救急体制や葬儀のシステムがしっかりしたところはいくらでもあります。大仏商売は構いませんが、火急の際にじっとされていてはたまりません。

奈良市の市長仲川さんは、私と同い年。
高校受験の時、私は大阪の学校に行きましたが、奈良で受験していれば北大和高校(現在の奈良北高校)で彼と同級生になっていたかもしれません。ひとりの政治家を思い出すとき、「あれをしてくれた」と感謝されることが、一つでもあれば、その政治家は立派だと思います。一つもない政治家ばかりじゃないですか。本当に、一つもない政治家ばかりじゃないですか。市長がそのレアな例外になってくれることを望みます。

そして、「俺がやらねば誰がやる」の一歩をずっと踏み出さず、老朽化するばかりの機能不全な街にしてしまったのは、政治家のせいではない。その政治家を選んだ我々であり、できることをしなかった、面倒事がただ通り過ぎるようにたらい回しにし続けたのは、他でもない我々であり、私です。

夢を見るためには、現実を直視することからはじめねばなりません。