慈眼寺 副住職ブログ

センター試験の「空」

センター試験の倫理の問題は毎年解いているのですが、これがなかなか仏教的に「お!」と思うような渋い問題が出ることがあります。
先日、2014年の問題を久しぶりに解いて、お!と思ってしまいました。

 

問8 下線部(h)に関して,次の文章は,大乗仏教における「菩薩」の行うべき実践についてプッダが説いたとされているものである。ここで述べられていることについて,大乗仏教の思想を踏まえて説明した文章として最も適当なものを,下の①~④のうちから一つ選べ。

 菩薩の道を志したものは,ここでつぎのような考えを起こさなければならない。……「彼ら(衆生)すべてを,私は,涅槃の世界に引きいれなければならない。しかもなお,たとえそのように無数の衆生を涅槃:に導いたとしても,実はいかなる衆生も涅槃にはいったのではない」と。
 それはなぜかというと,もしも菩薩に衆生という観念が生ずるならば,彼を菩薩と呼ぶべきではないからである。それはまたなぜか。もし彼(菩薩)に自我という観念が生ずるなら,あるいは衆生という観念,命あるものという観念,個我という観念が生ずるなら,彼を菩薩と呼ぶべきではないからである。(「金剛般若経」より)

① 菩薩はまだ仏ではないため,衆生の固定的実体をすべては把握できない。それゆえ,菩薩は、衆生を導く働きを放棄し,自分の悟りの完成を目指して努力すべきである。
② すべての衆生は,いかなる固定的実体ももってはいない。そのことを理解したうえで,菩薩は、導く自分にも導かれる衆生にも執着することなく,衆生を涅槃へと導くべきである。
③ 菩薩はまだ仏ではないため,衆生の固定的実体をすべては把握できない。それゆえ,菩薩は,まずは自分にとって身近な衆生から徐々に涅槃へと導くよう努力すべきである。
④ すべての衆生は,いかなる固定的実体ももってはいない。そのことを理解したうえで,菩薩は,まずは自分が悟りを開き仏となり,その後,衆生を涅槃へと導くべきである。

 

いやー渋い問題です。センター試験さすが!と思いますね。ときどき、「ハァ?」というような問題もあるんですが、いいですねぇコレ。単純に用語を覚えているだけではダメで、ちゃんと仏教の「空」の思想を理解していないと解けないです。かと言って、そんな高校生滅多にいないので、上の抜粋の意味をきちんと理解できれば、ほぼ国語の問題として解ける。これはいい問題ですね。

しかし菩薩の精神というのは、空の思想で説明できる、というのは、知らぬ間に失念していました。すごく優しいから衆生のために悟りを後回しにいている、わけではないんですよね。言われてみればそうなんですよ。そもそも自他の区別を空の境地でとらえているわけですから、そもそもそんな区別が存在しない。賢すぎて一周回ってアホな子みたいになってるんですね。めちゃくちゃ不謹慎な表現で申し訳ないですけど。

この金剛般若経は結構哲学的で面白いんですよねぇ。今度腰据えて読んでみます。ああ、初期仏教は面白いなぁ。