慈眼寺 副住職ブログ

今時の若いモン

さいきん、教師として働いている職場の、男の子たちの挨拶がものすごくいいんです。
去年くらいから急激に変化してきました。
1にも2にも、担任の先生方のご指導の賜物、の一言に尽きます。素晴らしいと思います。

何がいいって、ただ頭を下げるのではなく、立ち止まって礼をして挨拶をするんです。
歩くたびに次々と挨拶してくるので、正直歩くと、少し疲れてしまうほどですが、本当にキチンとできています。

僕なんかは授業だけ受け持ってさっさと帰るお気楽なポジションなので、ただただ見てるだけですが、本当にすごいことだと思います。
どんなことであれ、「徹底する」ということが一番大事ですが、だからこそ滅多にできません。何であろうと結果を出す人や集団は、よかれあしかれ、とにかくどんなことでも「やり抜く」ことができるのが条件だと思います。それに意味があるかないか、効果的かどうかなどということを詮索せずに、とりあえずやり抜く。反省や改良はやり抜いてからやればいい。私はそう思います。

何事も、何をするか、より、どのようにするか、のほうが遥かに重要だと思います。たとえ正論であれ、表現の仕方が間違っている人は、醜いです。どんなに若くて美しい外見であっても、その吐く言葉が醜い人は、やはり醜い。

行動に移す若者がもてはやされますが、一瞬目立つことをする人間は、いくらでもいます。一発芸人です。

でも、目立たなくてもモテなくても、やると決めた「当たり前のこと」をやり抜いて日常化していくことが、何より難しくて尊いと思っています。

今時の若いモンに、いつもいつも勝手に大きな期待を寄せています。片思いです。