慈眼寺 副住職ブログ

天才

世の中には天才と言われる物凄い才能のある人間が、案外います。
言語に対して異常な習得能力を持つ人や数学の天才、音楽の天才など、色々な天才がいます。

ノーベル賞をとったから天才とかそういうことではなくて、まさしく「天賦の才」であって、勉強ができるとか、そんな凡人の勤勉さをはかるだけの貧弱な基準ではとても測れないような、規格外の能力です。

たとえば「1729」という数字を聞いただけで、「それは正の3乗数の和で2通りに表すことができる最小の整数だ」と答えた人がいます。
一度も海外旅行をせずに、インターネットで眺めているだけで数十の他国の言語を習得してしまう人間もいます。
一目見ただけの景色を寸分違わぬ絵にしてみせる人もいます。

彼らは必ずしも社会的に成功しているわけではない。引きこもっている人もいれば、ホームレス生活をしている人もいます。

彼らはときに、その高すぎる能力のために、社会生活を送ることに支障がでてくることがあります。
類まれな才能が必ずしも人を幸せにはしない、ということです。

よく、子供に何になってほしい?とか聞かれたりしますが、ほんとうに希望なんてないんです。
そんな並外れた才能なんて僕の遺伝子にあるわけないし、あっても困ることのほうが多い。凡人が一番です。

この世の中に「掃いて捨てるほど存在する」ということは、「絶対多数として数の暴力に訴えることができる」ということです。つまり自分たちを「ふつう」だと居直り、優れた人を「異常」だと排除するわけです。凡才が最強なんです。

仲のいい友達が多くても少なくてもとにかく作れて、いっぱい笑って暮らせて、なるべく僕の仕事を手伝ってくれて、まず大前提として僕より長生きする。

本当にそれだけでいいんですよね。才能なんて要らないです。平々凡々。
まぁ、そういいながらも、ついついよそ様と比べてああだこうだと嘆いたり羨んだりするのでしょう。それが平凡な親のあり方ですし。
ただまぁ、自分がやりもしないことを子供に「いいことだから」と強要するような人間にだけはなりたくないですね。

「どうやったら子供が本を読みますか?」

ってよく聞かれるんですけど、あなた何冊読んでるんですか、何を読んでますかって思います。親が毎日暇さえあれば本を読んでいれば、子供は当たり前のように本を読むと思うんですよね。無理して難しい本を、楽しくもないのに読んでてもやっぱりダメで。

ひとにものを教えるってなんて思い上がった行為なのだと思います。

自分がただただ楽しめばいいのだと思います。誰かを意のままにしようなどとは思わず。
「天才をつくる子供部屋」とか、そういう企画を見るとゲッソリしてしまいます。

天才なんて全然要りません。