慈眼寺 副住職ブログ

奈良はやればできる町(YDM)第9回 佐保川の川路桜

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さて、今日はみなさん誰も彼も、それぞれの「My桜」の満開を見逃すまいと、それぞれの樹のもとへ馳せ参じてらっしゃったのではないでしょうか。
かく言う私も明日の雨に散る前に、子供の頃からずっと通いつめている桜を見てきました。

人はきっと「自分の樹」と決めた特別な一本を持っていて、それがあることで、人生の指針というか、節目節目に会いに来て頼ってしまうというか、そういう樹が、誰しも一本はあるように思います。ある人は近所の神社の鎮守の木。ある人は昔木登りをした木。ある人は毎年実を食べた桑の木。ある人は会社の窓から毎日見える街路樹。別に大きいとか古いとか名所だとかは関係なく、とりたてて変わった木でなくてもいい、ただ、自分がいつも、何かを振り返ったり迷ったりしたとき、時の流れや、季節の移り変わりを感じるとき、ふとしたときに「そこ」に帰ってくる。そんな樹が。

さらにそれとは別に、日本人というのは不思議なもので、毎年春にその満開を楽しみにする「My桜」みたいなものが、あるように思います。この付近でここにある桜のどれかを「その1本」にしている人は、何千人もいるのではないでしょうか。
今日は奈良市屈指の花見の穴場スポット、だったはずが、数年前からちょっと有名になりすぎてしまった「佐保川沿い桜並木」「川路桜」の紹介です。

私は佐保小学校に通っていたのですが、その佐保小学校のすぐ近くには、佐保川が流れます。この佐保川の一帯はとにかく桜がたくさん植えられています。上流付近にも古木が三本ほどありますが、下流にいって佐保小学校付近からは新設の佐保川小学校、さらには近鉄新大宮駅まで、300m、では効かないのではないでしょうか。ずっと桜並木が続きます。

まずこのあたりの桜鑑賞の入口的なものがコレ。大仏鉄道記念公園にあるしだれ桜。

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昼夜二つの顔を並べてみました。ここはもともと大仏鉄道の大仏駅のあった付近だそうですが、私くらいの年齢では「あ、消防署跡やろ?」という感覚。消防署のあとに急遽どこかからやってきたのがこのしだれ桜なので、個人的には「よそもの」感があります。スイマセン。とはいえ、桜といえばソメイヨシノ、というイメージを覆す、違った趣きで、かつこの先の桜の先駆けとして咲くので、目安となる桜でもあります。色もいわゆるピンクできれいですね。

さて、ここから細い路地に入れば、もうあとは桜・桜・桜。ソメイヨシノ地獄といってもいいくらい桜が続きます。

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いつの頃からでしょうか。昔は地元民だけの穴場スポットでしたが、いつの間にかライトアップや提灯まで吊るされるようになり、遠いところから人が押し寄せるようになりました。付近に大学もできましたしね。さらに最近では外国人の観光客も押し寄せています。えらいことです。

このへんの桜のすごいのはとにかく川に覆いかぶさるように茂っていること。あと、巨木がいくつかあることです。川の両岸どちらからでも違った風景を楽しめます。

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そもそもソメイヨシノというのは下品なくらいに「咲き乱れる」という表現がピッタリくる花で、鼻につくところはあると言えばあるのですが、ここまでくるとアッパレという気もしてきます。

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こんな桜のアーチもあります。

基本的に大きい桜は佐保川北岸、桜のアーチを楽しむなら佐保川南岸。さらに北岸の桜を遠景で見たい場合は南岸から見るほうがオススメです。近すぎると何が何だか分からないんですよね。よくお酒を飲んだりお弁当を食べたり、のんびりしてる人が多いのもこちらの南岸です。

さて、この桜地獄というべき桜並木のなかで、とんでもない存在感を示すエリアがあります。それが樹齢160年を越えると言われる、佐保川北岸JR線路付近にある「川路桜」です。

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見てください。この規格外のでかさ。そして川へのせり出しぶり。
ちょっとライトアップがわざとらしすぎてドイツのノイシュバンシュタイン城のような嘘くささがでてますが、とにかく異様な巨木。その昔、奈良奉行川路聖謨が植樹したとされる、樹齢160年とされる5本の桜です。そのうちの2本並んだ巨樹は、対岸から見るとまるで一本の木のように見えます。ちなみに川路聖謨は、たぶん史実に残るなかでは日本初の短銃自殺を遂げた人。儚く散る桜のイメージと重なります。そういえば以前、私の出身中学は多聞城跡で、日本初爆死の松永久秀の城だというお話はもうしましたね。(http://www.nara-jigenji.com/diary/2277/)奈良にはけっこう激しい日本初もあるわけです。なんとでっかい平城京だけじゃないのです。さすが、やればできる町です。あんまり教育上よろしくないブログですね。

昼に見てもこの川路桜はやはり異様。いわゆる「桜」のイメージを超えたサイズです。

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桜ってそもそも幹は若いうちは表皮が灰色ですが、老木になるとけっこうグネグネして怖いです。枝ぶりもちょっとモンスターチック。でも、この一種禍々しい巨木の異様に、昔からなぜか惹きつけられ、小学校や中学の頃から妙にこの樹のことは気になっていました。禍々しいけど、怖くはない。目が離せない。見るたびに表情が変わる。中学のバドミントンのパートナーの肩に手をかけて二人乗りして、ブックスリードへ行って「銀河英雄伝説」のビデオをレンタルするときも、途中この桜の幹を眺めていました。受験勉強で行き詰まると自転車でふらっとここを通ったときも眺めていました。

今のようにライトアップされていないころでも、ここの夜桜は綺麗でした。そもそも桜は昼のピンクよりも、夜うっすらと月明かりか街灯でぼうっと浮かび上がるくらいのときの、薄墨色が一番美しいと思います。変に細工しないほうがいい。昔一人で夜中に見たときのほうが、心に残っています。

考えてみると、私の人生をはるかに越える昔、中央で責任取らされて奈良に飛ばされて最後は短銃自殺した奉行さんが植えた桜。実に味わい深い桜です。たぶん私が死んでも咲き続けるのでしょう。 この樹の下で春死なむ、とは全く思いませんが、お前の桜はどれだ?と言われたら、「コレだ!」と答える自慢の桜、ではあります。人生に、そういう樹があったほうが、ちょっと味わい深い気が、します。

この桜のすぐ近くには、先ほど言ったようにJRの線路があります。結構離れているにもかかわらず、静かな夕暮れどきなんかは、ここの鉄橋を渡る電車の音が私の家まで響いてきます。それを聞くたびに、この桜や、その鉄橋で根性だめしをしたことや、フナやコイを採ったことや見知らぬおっさんに「食べられる草」を教わったけど、全然おいしくなかったことなどを思い出します。

今でこそ、プチ観光スポットになっていますが、本当にただの地元のでかい樹で、観光スポットといっても入場料もとらないので一銭も儲からないし、付近にお店も一軒もない商売っけのない場所です。あくまで「やればできる町(YDM)」、やってしまわないところも愛おしい、奈良の桜の名所です。