慈眼寺 副住職ブログ

お坊さんのHPを2ヶ月で月間1万PVにするまで(2)

「俺はまだ本気出してなかった」時期

当HPの開設は実際には10月30日です。
11月スタートだとすると、4ヶ月かかっていることになるわけですが、実際に本気で私が動き出したのは1月からです。オープン後2ヶ月はどうしていいかわからず、放置していました。1月から「本気でHP充実させるぞ!」と覚悟を決め、本腰を入れたのです。ですから11月からの2ヶ月と、1月からの2ヶ月でHPのアクセス数は見事に変わりました。映画化された漫画に「俺はまだ本気出してない」というダメ男の話がありますが、最初の2ヶ月、HPの管理人としての私はダメ男でした。

そもそも私はお勉強好き

そもそも私は実に勉強が好きな人間です。大学院の博士課程までいってダラダラと勉強ししてたわけですからかなりのもの好きです。何事も、やり始めたらコツコツ真面目に研究する方です。勉強と練習は裏切りません。ただ、どうもPC関連のスキルが低く、ウィークポイントではありました。頑張れる分野とそうでないところがハッキリ分かれる分裂系の人種です。典型的な文学部タイプと言えるかもしれません。

「お勉強」の成果

最初の2ヶ月はダメ男だったと言いましたが、ただただ寝ていたわけではありません。まずは情報収集です。人気のブログはどんなものなのか。どうやったらそうなれるのか。そういうハウツーものはやたらありました。そこからブログが育たなくて悩んでる人はめちゃくちゃ多いんだなと間接的に感じました。ブログを書いてる人はPCの前に座っている時間が長い人なので、ブロガー向けの記事はアクセスを稼ぎやすい、という逆説的な真理ですね。まんまと私もそれに乗せられて、そういう人にPVを献上しているわけです。怖い世界です。そうして勉強していると、結局みんなの言うことは次の3点に集約されました。

 SNSとの連携は絶対必要
 ブログは毎日1本以上必ず書く。
 記事数は300を目指す。騙されたと思って300書く。

極論を言えば毎日3記事を3ヶ月続ければ、すぐに手応えがある、という記事もありました。毎日3×30日×3=270ですから、結局「300」という数値付近が、やはり目安になるというのが、大方の見方なんだなと感じました。私の場合昨日までで65ですから、こんな偉そうに記事書いてる場合じゃない、ヒヨっ子が何ほざく、ということですね。スイマセン。

そんなヒヨっ子のさえずり

しかしお坊さん業界では、事情が変わります。いろいろしがらみがありまして詳しくは言えませんが、寺院のHPの運用について報告したレジュメ自体が20年前か?と思うような形式で書かれていたり、データの計算方式が意味不明だったりして、この業界で、観光寺院以外のHPは未だに20年以上前で止まっている気がします。つまり、「お坊さんのHPの常識」に留まっていては、世間との差は離れるばかりだと気づきました。別に俗になれというのではなく、「普通のHP」としての体裁を整えたければ、「早くお坊さんのHP」の範疇から離れるべきだ、ということです。内容はお坊さんでいいけど、形式は普通にしよう。だから300記事目指そう、という結論に達しました。

Tくんの心を掴め

「勉強中」に色々なブログを見ました。言及は避けますが、人気のブログもちっとも面白くなかった。むしろ、人気のないブログの方が面白かった。ブログ村ランキング180位くらいが一番面白かった。確かに「普通のHP」を目指したいが、書きたくないことは書きたくない。ブレたくない。そんなとき、光明になるような出来事がありました。

ある日、なんとはなしに記事を書きました。「勉強」で得た知識に従い、既にフェイスブックに連動していたので、それがフェイスブックに同期しました。その記事に、私の教え子の中で、たぶん将来最も出世する人物の一人になる、と確信している秀才であり、非常に交友関係の広い青年がイイネを押して、誉めてくれました。すると、普段はいいとこフェイスブックからは50人が読めばいいところのウチのブログに、突然とんでもない数の人間が流れてくれました。人気ブロガーからすれば屁でもない人数でしたが、自分の中ではスマッシュヒットでした。ああ、じゃあ、別に他人に好かれようと無理にしなくていいんだ、と気づきました。彼は最前列で一回も寝ずに私の授業を聴いてウンウンとうなずいていいリアクションをとって2年間気持ちよく授業させてくれた「聴く天才」です。ですが、秀才だけに見る目も厳しい。なんでもかんでもイイネをするただのイエスマンではないのです。彼のおメガネに叶うような記事を書けばいいのです。楽ではないですが、自分の生き方まで変える必要はないのです。

嫁さんの心を掴め

次のスマッシュヒットは奥さんでした。いつも「長いね。」か「短いね。」しか感想を言わない奥さんが、初めて「面白かった」と言ったブログは、Tくん推奨のブログすら超える数値を叩き出しました。奥さんのフェイスブックの友達は8人しかいません。それでも普段の4倍を超える人が見に来てくれて、しかもいまだにその人数は増え続けています。Tくんは京大卒、奥さんは看護学校卒。京大がえらいわけではないのです。どんな人であれ、誰か一人の心を激しくつかめば、それは大きな波になる可能性がある、と気づきました。

特殊を極めれば普遍となる

私の長年の持論に、「特殊を極めれば、普遍となる」というものがあります。よく、「僕は広く浅くやる主義」という人がいます。私は逆の考えです。最初からマスなんて相手にしていません。ブログに限らず、ニッチばかり追っています。そもそも「浅く、深く」の二元論自体無意味だと思うんです。私の深いつもりの知識だって、もっと詳しい人は何万人もいます。逆に浅くを自称する人がものすごく深い知識を持っていることがあります。ただ、基本的にあらゆるものに対して、リアリティーがあることが大事だと思っています。「近所の川崎くんの家の扉を開けた時の音」とか言っても「知らんわ!」って思うような表現でも、わかる人だけめちゃくちゃわかる。それが大事だと思っています。分からない人には全然分からないけれど、「“わかる人にはわかる”ということはわかる」という形で誰かにリアリティーを伝えることができると思っています。

実存主義的ブログ

実存主義という考え方は、誰とも共有できない、自分だけの問題、というものを突き詰めていく立場です。つまり、普遍性とは正反対の立場です。しかし実は誰もがそうした誰とも共有できない問題を抱えているゆえに、結果的に人間存在全体の問題を扱うことになる。基本的には授業もこういう考えでやっています。もちろん一人だけ相手にしてほかの人を置いてけぼりにするのではない。ですが、話したり書いたりするときには、いつも心の中で、それが誰か一人の心を響かせることを願い、そんな「誰か」一人を設定して、その人一人のために話し、書いています。その自分のやり方を、変える必要はないのだ、と気づきました。

今日のまとめ

そのときから気が楽になりました。毎日ブログを書くのがそれほど苦ではなくなりました。もちろん、ネタがないときもあります。でもそれは、「諸般の事情で面白いけど書けない」というだけで、書きたいことはいっぱいあるものです。ネタがないわけではない。それを加工すればいいだけなのです。

誰も傷つけないように、と以前書きましたが、それが不可能なこともわかっています。自分としてはセーフでも、他人にはアウトということはたくさんあります。書いた以上はそういうリスクを負う、ということだけは覚悟して、でもなるべく誰かを傷つけないように、毎日書いています。先日も言いましたが、日常生活と全く同じです。誰も傷つけたくなければ、一人で家に引き篭ればいいわけです。

結局、1万PVのハウツーとしては甚だ不完全なものになりましたが、とりあえずこの日の当たらないブログの大したことのないアクセス数の数値に至るまでの私の心の動きを書いてきたつもりです。そして大したことはないといいましたが、この慈眼寺のHPに、ブログに、のべ2000人の方々が訪れ、1万ページに目を通して頂いた。これはすごいことです。1日50人の日もありますが、一日に50人が気にかけて下さると考えればこんなに幸せなことはありません。いや、違います。1日1人であっても、誰かが読んでくださるということがどんなに素晴らしいことか。私は常に誰か一人のために書いているのですから。